2011年11月14日

ふとガンジス河……

インドの聖地、バラナシ(ベナレス、ヴァーラナーシィー)……

なぜいま出てきたのか分からないけれど、マニカルニカーガートと呼ばれる火葬場で有名な、ガンジスのほとりにへばりつくようにして成り立つ、「死」の聖地として、またはインドの「観光地」のひとつとして、この町を訪れたことがある方も、まあ多いでしょう。
(長くたるんだセンテンスでした……)

あるいは、東京は末広町。ある巨大スペースで、藤原新也さんによる前代未聞の「個展」をオープニング以来、昨夜、二度目の訪問をしたせいだろうか?
巨大に引き延ばされても、驚くほど美しい写真……ガンジス河に消えゆく「書行無常」と書かれた「書」を写した写真だったか……。

それはまあ保留にしておくとして、
十代の頃から幾度か、かの地を訪れ、長く滞在したことがある筆者にもかかわらず、たまたま見つけた少し古いNHKアーカイヴを観ていて、幾度も訪れた人間として知っていて当然のはず、のことを幾つも初めて知った。

とりわけ興味深いのは、死者を燃やすための火はマッチなどではなく、聖なる種火から火を運び、火葬していたことなど。
おまけにその「聖なる火」が一度たりとも消えぬよう、さだめられた一族が代々に渡り、守り続けていることなど、知らなかった。




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2011年10月07日

「屈託のある微笑」





 「屈託のある微笑」

ここのところ「終電逃し」ばかりの小生。
まるで週末でもないのに……ひとりクラブで踊り明かして来たかのように……まぶしい東陽に目を細め、着古した黒いジャケットの襟をむりやりなおし、通勤者とすれ違ってゆく道ゆき……朝一番のガラガラ電車と酔っぱらいが織りなす早々朝の光景に溶け込む、おのれ……


帰宅しても仕事があるのでバッタリ眠るワケにもゆかず、半時間ごとにブラックのコーヒーを淹れ、喫煙度数はもはやヘビーやチェーンを超え、眼の充血度はマリワナ常用者レベルで、その日の仕事に取り掛かるのだけれど、
どんなに頑張ろうと、既に慢性化してしまった疲労と寝不足のおかげで集中力も忍耐力も想像力も使い古されたモップのよう。


そんな状態でまともに仕事などできやしないのに、それでも仕事らしきものをしなければ明日が無いフリーランサーというカルマ……

今日こそは終電に間に合ってぐっすり眠ってやる、と決め込んでも、おそらくまた終電に間に合わず、始発電車を待ちながら野良犬のように真夜中の大都会をとぼとぼ歩くのだろうか……今日も。



と、そんな個人的な生態観察はよしとして、昨夜は仮眠を少しでもとろうと、数年振りにインターネットカフェなる不可思議な施設で約3
時間過ごしたのだが、世に言う“ネットカフェ難民”はどこにもいなかった。念のためにと何件も回って聞き込みをしてみたのだが、どのインターネットカフェの店員さんに聞いても返事は決まって「ウチにはいませんね〜」。

もうネットカフェ難民など古いのだろうか?


それともインターネットカフェという施設に支払う僅かな金銭も払えなくなり、さらに安く過ごせる「施設」に、元ネットカフェ難民は移行していったのだろうか?

「かれら」はこの不景気をはるかに通り越した経済状況の中、いま、どのような生活をしているのだろう?
と、疑問符をあえて付けてみたが、実は答えを知っている。

しかし、底辺で生きている人々の生活状態を報告する場ではないので、省略。

lebanonnoo.jpg

問題は、「3.11」から数年、もしくは十数年後の若者たちは“アジア”に生きている、という実感を抱きながら、汚染されたこの列島で破綻した日本経済を尻目に、まるで不可触民であるかのような生活を、巨大なスラム街と化したTokyoというコンセプトの中で送らなければならないのではないか?

と、そんな不安が一瞬よぎった。


これが単なる妄想で済めばよいのだが、自然界の長(おさ)は想像以上に手厳しい。

誤解を恐れず書いてしまえば……

われわれヒト科の霊長類が他の生物や自然界、そしてこの地球やこの太陽系に支払うべく莫大なツケは、「無数のいのち」でコト足りるものではないだろう。


そしてそう遠くないある朝、自然界の長がホモサピエンスという生物を裁くとき、裁かれる側であるわれわれは、どう裁かれたのか知らぬまま、地球から姿を消していることだろう。

そして再び己に問うてみる

霊長類ヒト科という種族ひとつがこの地球上から姿を消すことと、

海棲哺乳類ジュゴン科という種族ひとつがこの地球上から姿を消すこと、
そのどちらが深刻な問題なのだろうか……と。
そのどちらが“一大事”なのだろうか……と。

べつにペシミスティックな問いではない。

あえて付け加えるならば、
「なにごとにも順序や順番がある」

そう思わずにはいられない。



2011107



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2011年10月01日

そして10月……



drawinngg2011 summer.jpg



なにか新しいものをつかもうと、必死になっていた一ヶ月が、なんとはなしに過ぎ去り、

目の前には、あっという間に過ぎ去ってしまいそうでおぼろげな秋が・・・



ひさびさに絵筆を振り回しながら、ひとりごとを、ちょっと高価な画用紙に、描いてみた一ヶ月だった。



活字を書き、それと対峙するのが極めて、もどかしい期間だった。

過去へ過去へと、


ひたすら引きずり戻された日々だった。

多くの、ほとんど忘れかけていた、時に耽美で、時に残酷な「時代」というあやういコンセプトと添寝しなければならぬ一ヶ月だった。


あまたの妄想をかき分けながら、ミクロでマクロでミニマルでマイクロなトリップを通して、時空の歪みを、この時代の時空の歪みを、かいま見た。



無数の「セッション」を通じて……リアリティーのその向こうに揺らぐ、森羅万象の嘆きと苦しみと哀しみと、わずかなクスクス笑いに、耳を傾けたり、罪悪感を抱きながらそれらを意図的に無視してしまったり、した。



活字にすることが許されぬ領域で、まだカタチを成さぬ活字たちを、まるで未熟児を抱くモナリザの微笑みのようにどこか影・陰多き含みのある微笑みでもってして構成し構築してゆくことの、うしろめたさ……



言葉というツールを有効に用いるのがとても困難な、日々だった。
と言うよりは、


言葉をもってしてはとても表現できない事物が、幾重にも幾重にも複雑にからまり、つねに不意を突くかのように顕れては、あらゆる文脈を乱して、去ってゆくかと思えばブーメランの軌道の上にまんまと立ち竦んでいたり、と、
とにかく面倒で厄介で、おまけに不可視な障壁にぶつかりつづけ、おのれの限界を何度も思い知らされた、季節のはざま……



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2011年08月15日

そしてビート・ジェネレーションとカウンターカルチャーに関する「おぼろげな白書」と、解き放たれたコトバたちと詩神たちのチャント。「ポエトリー・リーディング」に関する幾つかの「覚書」(最後まで読むのがつらくなるほど長いけれども)




注釈:この長文はかれこれ数年前にどこからか依頼があって書いたものだったような気がするけれど、誰から依頼があったのか、どんな組織から頼まれたのか、忘れてしまった。長ったらしいが、最後までお付き合いして頂ければ感謝。 by Takeshi Traubert

 

―――その小史と簡単な覚書―――



そしてビート・ジェネレーションとカウンターカルチャーに関する「おぼろげな白書」




ポエトリー・リーディング」とは、いったいどんなものなのか知らない方にとって、まず、その歴史を簡単に振り返ってみることは理解の大きな助けになるだろう。

「詩の朗読」と言ってしまえばそれまでだが、



古今東西、“詩”を“朗読”するという行為をすべて「ポエトリー・リーディング」と捉えてしまうと、とんでもないことになってしまう。

    ◆

かつて、“詩”を“朗読”する詩人といえば、


もっぱら王様や貴族を愉しませると同時に相談役として使え、



豪奢な住居を与えられ、経済的安定を保障された一種の国家公務員のような存在を指した。

ギリシャ、ローマ、ペルシャなどといった帝国では詩人の役割は現在では想像もつかぬほど重要であったことはご存じだと思う。



ときにアドバイザーとなり、ときに情報伝達者となり、ときにカウンセラーといった役目も果たした。

例えるならば、大統領補佐官と広報担当者と第一秘書と専属精神科医をすべて兼任する重要人物である。


他の宮廷楽士や宮廷画家などとは一線を画す存在だ。
それは日本の中世に於いても同じことが言えるだろう。




そういった意味で、村から村へ、町から町へと放浪を繰り返しながら、


各地でストーリーテリングをしていた「吟遊詩人」のほうが、現在における「詩人」という定義に近いかもしれない。

しかし、その歴史はあまりに長い。




「詩の朗読」というものを広義な意味で捉えるならば、その起源は人類の誕生と時を同じくする、と言っても過言ではないかもしれない。



文字が発明される以前、人はもっぱら言葉や音で意思の疎通をはかっていた。



遠くの土地を旅してきた商人や巡礼者たちは旅の途中で遭遇した出来事やエピソードをいわゆる“詩”というカタチを取って(ときには打楽器や弦楽器が奏でる“音”を伴い)故郷の者たちに抑揚をつけて語って聞かせた。

吟遊詩人の原型である。




今でも識字率の低い土地では口頭伝承で歴史や逸話、そして伝説を語って聞かせるが、その役割を担うのはたいてい吟遊詩人である。


単に語るのではなく、うまく韻を踏んだりアクセントを凝らして決して聞くものが飽きないように“語る”のである。

それは日本の浪曲や俳句、そして歌会に多少なりとも通じるところがある。


また、琵琶法師なども典型的な吟遊詩人として捉える事ができるだろう。

     ◆

しかし、近代に於いて我々が一般に「ポエトリー・リーディング」、と呼ぶものは、
それら伝統的なものとも自然発生的な吟遊詩人たちが残した文化とも異なる。





こんにち我々が認識する「ポエトリー・リーディング」の原点と呼べるべきエポックメイキングな地点をどこに見出すかについては、諸説入り乱れ、確定することは難しい。



けれども、私はあえて19世紀末のフランスと大戦後のビート・ムーブメントに的を絞りたい。


特に「ビート・ムーブメント」にだ。

なぜなら、いま我々が当たり前のように享受している文化や思想に多大な影響力を与え続け、そのムーブメントは、来るべき新しい文化へと率先して導いてゆく不断の原動力であり続ける「ハプニング」だったからだ。




“ムーブメント”というと一過性の運動と捉えられがちだが、1950年代にビート世代が無意識に行った「革命」の精神は、これからもずっと衰えることなく受け継がれてゆくものだと信じている。



       ◆

まず「詩の朗読」近代史において最初に公の場で自作詩の朗読をはじめたのが、フランスの「アカデミー・シャルル・クロ賞」で有名な鬼才、シャルル・クロ。



1869年頃から詩人として革新的な作品を、世紀末パリのサロンで朗読しはじめたことが、後の欧米における最初のポエトリー・リーディングであったことが確認されている。



20世紀に入り、現代音楽やジャズの演奏をバックに自作の詩を読んだケネス・レクスロスやサーンドバーグといった巨人たちは、このシャルル・クロの試みを近代史における最初のポエトリー・リーディングと位置付け、ある種のお墨付きと、敬愛の念を込め、ことあるごとに引き合いに出してきた。



しかし、19世紀末を生きたシャルル・クロ……
フランス文芸サロンのデカダン詩人でもあり、エジソンより一足先に蓄音器理論を論文化し、同世代に活躍した多くの詩や文学者、そして化学者や音楽家に多大な影響を及ぼしながらも、1888年、貧しさと孤独の中でまともな詩集さえ出版されることなく亡くなってしまう。




その後、幾人かのシンボリックな詩人を例外として「ポエトリー・リーディング」は表舞台から影を潜め、あまたに存在する表現形態の中で絵画や音楽のずっと後ろの方で、その存在感が薄くなっていってしまう。



       ◆

しかし、1940年代に入り、ジャズの一形態であるビーバップが登場する。


黒人のスラム街で話されるヒップで韻を踏んだ独特な話し言葉に触発された一部の白人作家たちが「ポエトリー・リーディング」を永い眠りから叩き起こしてしまった。

さらにそれを一気に世界規模のカルチャーへと昇華させたことは、現代史をその根底から覆してしまったといっても過言はない。





その中心人物が、20世紀、最も偉大な作家で詩人であるジャック・ケルアック。


戦後、世界を尻目にアメリカは戦勝国として経済的にも文化的にも裕福な時代をむかえるわけだが、その恩恵にあずかったのは結局ミドルクラスやハイクラスに属する市民。



有色人種や労働者階級の貧しい白人たちにとって、相変わらずの生活苦が改善されたわけではない。


アメリカが世界のコントローラーとして君臨できたのも、鉱山や大企業の工場といった低賃金で働かされていた肉体労働者たちのおかげであったわけだし、世界に誇る軍事産業や自動車産業にしたところで、それを支えていた寡黙な労働者たちの血と汗と涙あってこそ。

そんな見かけ倒しの「アメリカ」に疑問を持ち、社会構造の痛いところを最初に突いたのが、後に「ビート・ジェネレーション」と呼ばれるグループであった。




グループといっても、先に述べたジャック・ケルアックの他、アレン・ギ―ンズバーグやウィリアム・バロウズというほんの数名の作家志望者の集まりである。



彼らは皆、高等教育を受けた中産階級出身者であり、何かしらコンプレックスを秘めたデリケートなニューヨークの若者たちだ。


経済的なゆとりはあったにせよ、漠然と浮かれ騒ぐ「アメリカ」というひとつのコンセプトに苛立ち、依然として既存の文化や風習の延長線上であぐらをかくソサエティーに閉塞感をおぼえ、そのはけ口として酒やドラッグに溺れては悶々とした日々を送っていた。

そこへ現れたのが、幼い頃から「アメリカ」の底辺で人生を謳歌しサバイヴしてゆく術を身につけた路上のヒーロー、奇想天外な言葉の魔術師、ニール・キャサディだった。





その、ずば抜けた行動力と、片っぱしから社会的ルールをぶち壊して涼しい顔しながら、ペテン師のような口調で矢継ぎ早に路上の叡智をふりまき、出来たてホヤホヤのハイウェイ、ルート66へと創作活動に行き詰まっていたケルアックたちを駆り立てた大胆不敵な自然児だ。
彼こそが本当の意味で唯一の「ビート」だったかもしれない。




当時、新たな変革期をむかえていたニューヨークのジャズシーンが、かれらの旅と創作活動を後押ししたことも忘れてはいけない。


ロックンロールが音楽界に揺さぶりをかけるまで、まだ10年はあった。


ニール・キャサディと出逢ったケルアックは、40年代後半から50年代にかけて「本当のアメリカ」を探す旅を繰り返し、大陸のあちらこちらで仲間のギ―ンズバーグやバロウズ、そして無数の即興詩人たちと朝日が昇るまで酒やドラッグをつまみに、来たるべき世界について語り明かしながら、徐々に新しい「コトバ」と、その用い方を習得していった。



そして、ひとつの旅から次の旅へのつかの間の静寂を用い、その疾走感や麗しの体験が冷めやらぬうちに、自分たちが発見した新しいコトバや表現で森羅万象についてのなにがしかを散文や小説、そして詩といったものに変換していった。

     ◆

後にビートの創設者たちが世に放った作品の数々は、小説でありながら限りなく詩的な美しさをたたえている。



詩集でありながら元来の詩とは形式もスタイルもメッセージ性も、この世のものとは思えぬパワーとエモーションとヴィジョンに満ち溢れていたし、いまも色褪せてはいない。

とにかく、メディアや文壇の度肝を抜かすほど革命的なものとなった。



とりわけ小説として出版されたジャック・ケルアックの有名な『路上』や『荒涼天使たち』は、それまで人類が遭遇したことのないようなみずみずしさとイメージの洪水とポエジーが行間にまで刻印され、流れるようなその文体は声に出して詠まれることによって、さらに魂を吹き込まれた。

また、アレン・ギ―ンズバーグの『吠える』や『カディッシュ』といった詩群は、単なる活字による詩として完結することを拒み、当の本人がプリーストの如く高らかに詠みあげることによって、まったく別次元の美しさと警告をはらんだ芸術へと昇華されていった。




そんなビートたちが興したある種の「革命」は、多くの若者たちを覚醒させ、旅へと駆り立て、それまで「文学」という檻の中に閉じ込められていたコトバを自由な世界へと解き放ち、
一部の特権的な人間たちが独占していた文化を、すべての自由な心を持った若者や活動家たちに大きな活路を開かせた。




さらに時を同じくして、音楽の世界ではロックンロールが世界を震撼させ、アートの世界でもビートに触発されたかのような自由自在の表現がメインストリームを旋風し、60年代になると人権活動家や女性解放運動の旗手たちに勇気と活力を与え、反戦運動やフリースピーチ、性革命へとその影響力は計り知れないものとなってゆく。




その頃には既に「ポエトリー・リーディング」という文化はあらゆる世代に浸透し、街頭やカフェ、ライブハウスや教会で当たり前のように行われるようになっていた。


その現象はアメリカだけでなく、またたく間に世界中に飛び火し、日本の詩人たちにもすぐに受け入れられることになる。

ここで、日本に於ける「ポエトリー・リーディング」の現代史について述べる余裕はないが、忘れてはならない重要な一点についてのみ触れてみよう。



       ◆

50年代後半にビートの旗手たちが詩の創作するにあたり、そろって影響を受けた文化のひとつに、日本の俳句と禅思想があったことを忘れてはならない。



ジャック・ケルアックの親友であり、同時にエコロジーの創始者とも言われる詩人、ゲーリー・シュナイダーは、まだビート・ムーブメントがアメリカ本国で火を噴く以前にいち早く京都で禅の修行を行い、俳句の素晴らしさや仏教が内包する世界観をアメリカにいたケルアックたちに紹介し、彼らの詩作活動に多大なる影響を与えた。

現にジャック・ケルアックの最高傑作と呼ばれ高い詩集『メキシコシティ・ブルース』や『ブルース・アンド・ハイクス』(どちらも本人の口から発っせられて初めて魂を持つ詩群)などは日本の俳句や禅の世界観が全編を通して漂っている。



アレン・ギーンズバーグに至っては、インドでヒンドゥー教を本格的に学んだあと、京都に滞在するゲーリー・シュナイダーのもとを訪れ、新たな表現方法を習得する。


その思想は、数年後、アメリカでヒッピーと呼ばれる世代が誕生する強力な原動力にもなった。

当時、日本でかれらビートの旅人たちといち早く接触した詩人たちに、ナナオサカキや諏訪優、そして現在も日本のポエトリー・シーンを引率する白石かずこさんなど、数え切れないほどの自由人、文化人が触発され、感化され、洗礼を受け、60年代から連綿とつづく日本の新しいカウンター・カルチャーの基礎を作り上げたことは、いまさら語る必要もないだろう。




              ◆

最後に、もうひとつだけ重要な点を述べて、この「ポエトリー・リーディング」についての簡単な覚書を終えるにしよう。



日本に於いても、その他の国々においても「ポエトリー・リーディング」というものが活発になる周期というものがある。それは、決まってその国の政策がトンチンカンな道を歩み始めたり、外交上の危機や戦争や紛争に直接的にも間接的にも国家が介入し始めたときであり、また、手の施しようがない不況や経済的危機が訪れたときである。



そんな社会状況が当たり前のように市民生活の中へと浸透し始めると、必ずと言っていいほど声に出すポエトリー・ムーブメントが活発になる。



現に、バブル崩壊後の日本でも、ポエトリー・リーディングの大きなリバイバルがあった。


また昨今の日本政府による他国への軍事介入や政策不振は新たな世代を突き動かしている。
かれらによって「ポエトリー・リーディング」が毎日のようにどこかで、それも細々としたものでなくあらゆる形態をとって大々的に開催されている。それが意味するところは、お察しの通りだろう。




それは、ビート・ムーブメント自体が、そもそも対抗文化のルーツといっても過言ではないことに起因する。



この場合、「対抗文化」という表現は、そのまま直訳され日本語として定着している「カウンター・カルチャー」として捉えて構わない。


「ポエトリー・リーディング」とは、巨大なシステムに対し、中指を突き立てる行為であると同時に、




 平和や協調、

 そして共振や共感を、

 態度で示す行為であるのだから。







(文責)丸本武
Takeshi Traubert Marumoto 

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2011年08月03日

「これから日本を引率してゆく者たちへ」

なんだか、こんなタイトル付けてしまったけれど、偉そうなことなど書ける立場にいるわけでもないし、たとえ偉そうなことを書ける立場にいたとしても、ありきたりなことしか書かないだろうな、などと意味不明なことにひとり納得しているこんな有様じゃあ、ホントはブログなんて止めてしまえばいいのだけど、どうゆうわけか書こうとしているおのれがよく解らない。


それはともかく、おそらくもう当分書くことなどないだろうかと思い、過去数カ月間にここで書き散らした原発問題について、最後に少しだけ触れておきたい。


まず、現在の菅政権、ずいぶんとアチラコチラから叩かれまくっていて、だんだん傍から見てるほうが可哀想に思えてきてしまう。

もちろん、それには多少の理由があってのことだけれども、十歩譲ったとして、筆者は個人的に彼をヤリ玉に挙げるつもりは毛頭ない。

そもそも、大手メディアがこぞって現政権とその政策に対し、重箱の隅をつつくかのごとくボロクソに書いているのを見ると、ふと胸糞が悪くなる。

それに追い打ちをかけるかのように、これまで大手とは違った角度やスタンスで報道してきたはずの所謂“市民メディア”や“オルタナティヴ・メディア”までが、こぞって「菅直人」という男の事細かな言動にいちいち過剰に反応し、やっこさんを単なるお調子者であるかのように扱い、挙げ足とりに躍起になっている現状を目の当たりにするにつれ、マスもインディーズもつまるところ着地点なるところはおんなじじゃないか、と、ガクリときてしまう。


もっとも、こんなことを書くつもりではなく、「再生可能エネルギー法案」なるものを日本人の誰もが分かり易く、また大賛成したくなるような絵本や紙芝居にでもして、さっさと通しましょう(ギャラさえ良ければ「再生可能エネルギー入門紙芝居」ぐらい私に作らせて欲しいのだけど…)。
と言っても反対派の勢力が手強いだけに、そう簡単にいかない。

(先程初めて知ったのだけど、菅氏、ブログめいたサイトを持ってる・笑➔  http://kanfullblog.kantei.go.jp/ )



「国家」のトップというものは、良くも悪くも独裁的にならざるを得ない時がある。



非常事態においては民主的手段など踏まえず、トップの一存がある程度、許されると筆者は考える。

たとえ民主主義国家であろうが、現最高指揮官の彼氏は誰にも相談などせず、勝手に全原発を閉店させてしまうことぐらい、不可能なことではない。

大体においてエネルギーという漠然としたコンセプトに、あまりに固執し過ぎるようになってしまっては、人類失格。



原発問題について、当たり前のように言われていることは、地震を起こす断層が少しでもある土地と海に面した土地に存在する原子力発電所は、いますぐに止めなきゃならないのは当たり前だが(チェルノブイリでさえ断層がクロスする真上にわざわざ建設され、あの大事故も地震が原因だということが明らかになっているとはいえ)、じゃあ断層のない土地ならOKなのか?
と横槍を入れる輩がいると仮定して、答えると。


原発はいまや地震や津波や操作ミスで大暴れする確率よりも、テロの願ってもない標的として狙われ始めるという脅威の方がずっとデカくなる。

【休憩】
突然、個人的な話になってしまうが、今は亡きソ連が生んだ天才映画監督アンドレイ・タルコフスキーの予言的名作『サクリファイス』を最近よく思い出す。
まだ一度も御覧になったことのない方はぜひ100回くらい観ましょう。


もとい、他にもし付け加えることがあるとすれば、人類の発展(もうこれ以上発展などしなくていいのだけど)にとって、「エネルギー確保」が何を置いても何を犠牲にしても重要であるならば、いまのところ人の住んでいない近隣の惑星に巨大な原発を、好きなだけ幾らでも作ればいいだけのハナシ。

なぜ、こんな幼稚なことをわざわざ書くのかと問われれば、いつの間にか「反原発」やら「脱原発」というコンセプトがファッションでもあるかのように安売りされ、バーゲンで誰もかれもが二束三文で買えてしまい、本来の原子のエネルギーと原発の区別さえつけられない小僧どもや勘違いさんたちがチンドン屋デモでストレス解消しようとしている狂った現代日本の芸の無さに少々疲れたのであります。

まあ、そう答えよう。


201183
文責:丸本武
Takeshi Traubert Marumoto



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2011年06月07日

ふと、そしてスザンヌ・ヴェガ

とはいえども、その土地は広い。特に晴れた日に海からの風が心地よく吹いている時など、時を忘れる。

経済感覚も忘れる。時代感覚も忘れる。過去も未来も忘れる。
いつの間にか誰かのヒモになってることさえ忘れる。
〆切も約束もみんな忘れる。
納税も貯金残高も忘れる。
でもどこかで飢えや病に苦しんでいる子供たちがいることは忘れない。
 
そんな場所を探そう。



関係ないが、こんなスザンヌ・ヴェガが大好きだ。


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2011年05月25日

「プロとアマとプマチュア」


本来、表現活動に従事する方々に「プロ」も「アマ」もないのだけど、どうゆうわけかここ最近、プロもアマチュアも関係ない、といった風潮が報道の世界でもアートの世界でも強く散見される。

こんな話題など、ハッキリいって筆者にはどうでもいいことなのだが、どうも見逃してはならない現象が潮風のように芳しくもプンプン匂って、気になる。
そして、気になることはつい書かずにはいられない。

単刀直入に書いてしまえば、双方のラインをあやふや&曖昧にすることで、どちらに属する方々にとっても、その言動や作品なりに対し、おのれに有利な口実ができてしまう、ということだろうか。

この、曖昧になった「プロ」と「アマ」の境界線(あえてそれを「国境」とでも言い換えてしまおう)。
いままで所謂「プロ」として活動してきた人間にとっては、その消えかかった国境線を責任回避として利用でき、「アマチュア」として活動してきた人間にとってはいざという時の“逃げ道”に使えてしまう。

ある日、赤坂にて.jpg



なにをもってして「プロ」なのか、または「アマチュア」なのか、といった議論はそもそもまったくもって意味のない論議。と、実は言い切ってしまいたいのだが、こと、そこにビジネスの臭いが漂ってくるとハナシはもちろん違ってくる。

文章であろうと写真であろうと評論であろうと音楽であろうと、それが立派な生業となっていれば、どんなに下手くそだろうがデタラメだろうが、その「作品」なり「技術」は、とりあえずのところ「プロ」としての基準だか標準だかを充たしている、とされる。

しかし一連の原発報道や、それにまつわる写真や映像やコメント……。あるいは、チャリティー・イベントやトーク・イベント等における出演者たちの奏でる内容……。
このご時世、いくら実行力や速報性が求められるとはいえ、ど素人が専門家ヅラしてコメントしたり、チャリティーを名目にアマチュア・バンドがまるで著名人であるかのように我が物顔でステージの上で振る舞ったり、津波被災地でたまたま撮った写真をまるでフォト・ジャーナリストであるかのようにギャラリーで披露したり、と、例を挙げればキリがない。

この、ドサクサ紛れになんちゃって、といった連中の台頭に対し、私なんぞが口を挟むことではないのかもしれない。

が、問題は、いままでプロ意識をしかと持ち、自己責任のもと活動してきた少数派の食いっぷちが、かれら「にわか活動家」や「自称ナントカ」さんたちに踏み荒らされてしまい、責任の所在を明確にできる「プロ」までが、かれらと同一視されはじめている事態。それを私は懸念しているに過ぎない。

でも、このような事態を許してしまっているのは、実のところプロ当事者であったりもする。

本来ならば原稿料や掲載料、またはギャラというカタチで報酬を得ていた方々が、ついついインターネット上で作品や記事をタダで披露してしまったり、著作権を有耶無耶にしたまま動画サイトを解放してしまったり……、そんなテキトーな作品管理が素人を勘違いさせてしまう要因になっている。


と、こんな戯れ事を書いていて、ふと思うのは、何事も「世の流れ」。勝手にどーぞ、お好きなように。当の私だってそのどちらかに加担している共犯者なのかもしれないし、責任の所在が問われるようになって始めてプロは「ヤバイ、うっかりしてた」と嘆き、アマチュアは「そんなこと知りません、ワタシただの素人ですから」と知らんぷりし、そんなすべてと関係なく世界は転がり続けてゆくのだろうから。



(文責)
Takeshi Traubert Marumoto
丸本武

ラベル:アマチュア プロ
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2011年05月01日

■ 強風 薫る五月 ■

 『 今宵から月が消え、これから新月へ…… 』


今年に入ってこの四ヶ月間、
あまりにめまぐるしく日々が過ぎ去り、ありとあらゆる森羅万象が目の前を通り過ぎ、

シュールを通り越したリアリティに振り回され、

気付けば 吹き荒れて 風も薫らぬ五月…・・

四ヶ月というスパン。
一年をこうして三分の一に分けてしまうのも雑に過ぎる。
西暦に従ったサイクルで生きている訳じゃないので、五月になったからといって「で?」でおしまいなのだけど、慌ただしい日々がこうも続くと、果たして疲れる。

面白いことも楽しいこともたくさんあったけれど、それらを素直に楽しめない時のほうが多かったし、たぶんこれからもしばらくはそうなんだろうな・・・と思ふ。

真冬の日本や真夏の日本はあまり好きでないので、たいていなんだかんだ理由付けて、どこかに逃げている。
でも五月という時期は日本に居たい。
けれど、五月最初の日はなんだか憂鬱でじめじめして陰気な日でした。
ところで「サツキ病」という言葉はもう死語になってしまったのだろうか?


無所属・自営業でうごめいてる小生にとって、毎年ゴールデンウィークというお休み続きの日々が到来してもピンとこなくて、さあどこかへ出掛けようという気分にはなれないのだけど、今年はなんだか違う。

かといって、どこかに行きたいのかと訊かれたなら、ちゃんと答えられそうもない。

もし、あえて答えるなら、私は
「美しかった頃の双葉町海水浴場」
と云おう。

そういえば、多くの人が「ゴールデンウィーク」というギンギラギンの表現を今年はあまり用いていない。
うしろめたさがあるのだろうか。

葉山の海2011年4月30日.jpg


そういえば昨日、三浦半島にある葉山の海岸で海をみてきた。
素敵な一日だったことだけは、たしか。


3.11の被災地には、たくさんのボランティアの方々が帰って来てからゆこう。


takeshi traubert marumoto
丸本武
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2011年04月13日

★余震の予審:プレートの異なる地域での“余震”と《富士山問題》

鳥に問う.jpg


 

予審とは:事件を公判にするかどうか決めるための、裁判所での審査。


ここ数日間の大きな「余震」が『3.11』の東日本大震災のものであることについて、国もメディアも異論はないようだが、もし今回の大震災とは関係のない大地震が起こってしまっても「余震」に慣れっこになってしまった国民は努めて「余震」なのだから、と言い聞かせ、屈折した安心感に浸ろうとするのだろうか。


ここ数日、「余震」という言葉に対し多くの国民がそれを妥当な表現として受け入れている。

それがどうした。と言われてしまえば、筆者のことだからやはり答えに困るだろう。

しかし、度重なる「余震」をただ『3.11』の余震であると決めつけてしまうことによって、もしかしたら事前に大規模な被害を防げるかもしれない震災予知が、さらに困難なものとなってしまわないだろうか?

そう思うのは果たして筆者だけかもしれない。
一連の規模の大きな「余震」を、“あぁ、またか” で済ませてしまっている方々がどれほど多いか、街や職場で耳を澄ませていれば気付くだろう。

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余震のメカニズム:
大地震が発生したとき、震源からかなり離れた地域で地震が起こっても余震とは呼ばない。余震と呼ぶのは大地震など時間的・空間的にまとまった地震が発生したとき、その範囲内にある地震に限られる。
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上記の「余震のメカニズム」は例によってウィキペディアからの引用であるが、定義の難しさは “どこからどこまでが範囲内” なのか、ということだろう。

3.11』後に起きた「余震」の多くは確かに本震とほぼ同じか、すぐ近くにその震源があったが、長野や静岡や千葉といった地域で発生した地震も東日本大震災の「余震」として報じられている。
理由は『3.11』を起こしたプレートと密接な関連があるから。それだけがここ数日間に起こった大きな地震を「余震」とする根拠だ。

そもそもプレートというのは、それぞれが孤立して存在しているものではなく、どれもがどこかで繋がり、密に重なり合い、影響を与え合っている。
これは小学生でも学校で教わり、知っている。

3.11』は太平洋プレートが沈み込む北米プレート上が震源地。
遥か南のフィリピン海プレート上で多数発生した伊豆や箱根で起きた地震を「余震」を位置付けるのは如何なものか。


ところで大きく報道されなかったが、過去一ヶ月間に東日本で起こった地震の中でも「余震」ではない、と気象庁が報じた地震がある(42日の夕方、茨城・鉾田市で震度5弱を観測したものがそうだ)。


「余震」というコトバが生み出す魔性に、われわれは倒錯した安心感を心のどこかで見いだしてはいないだろうか。

鳥に問う.jpg


◆追記

多くの機関や人々が、それは誇大妄想に過ぎないと一蹴している「富士山マグマの活発化と噴火の予兆」という幾つかの記事は、筆者の独断と偏見でしかないが

“次なる危機に備えよ” といった警告として大真面目に捉えている。



takeshi traubert marumoto
丸本武

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2011年04月08日

地震予知・地震予報・余震予報

【自信の余地無し】



決して何時間も前にとはいわない。
せめて30分位前、いや、せめて3分前、いや、数十秒前でもいい。

巨大地震の巨大余震:4723時半頃、震源地は東日本大震災とほぼ同じ。
余震の中では最も大きな地震だった。

マグニチュード7.4
気象庁の地震速報は発生後7.4秒(会見ではこの素早さだけは強調していました)



ところで約
16年前の阪神大震災の教訓から、どれだけ莫大な予算が気象庁を筆頭に技術面の改善、研究チームや設備等につぎ込まれてきたのか、私は知らない。

そんな訳で、駆け足で現在の地震予知業界の現状を簡単に調べてみた。ところが、結論を書いてしまえば、地震そのものの正確な予知はあまりに困難で、16年前からほとんど停滞したままだ。むしろ否定的な議論ばかりで、あきらめモード・・・

311日』をある程度予知できていたことは後にニュースにもなった。それはそれで過ぎたことなので何んとも言えない。けれども、深刻な原発事故まで引き起こしてしまった後、小規模な余震は仕方がないとしても、これだけ大きな「余震」をどうして予知しえなかったのか。

(しかし、「なればキミがやればいいじゃないか、どれだけ難しいかわかるから」なんて切り返されたら、果たしてどうしよう)

こう言い換えてもいいかもしれない。
なぜ日本全国の原子力発電所がこれだけもろいことが判明してもなお、次なる原発事故を防ぐためにも予測報告しようとしなかったのか(今回の“余震”の影響は早くも宮城県女川原発での電力トラブルという形で露呈)。

その答えは意外なほどあっけないところに書かれてあったが、意味が解らない。
曰く
『情報には信頼性がなければいけない。気象予報に関して、各国の政府機関が一定の権限をもって行っているように、地震予知に関しても政府機関が権限をもって情報に信頼性を持たせなければいけないという見方がある。一方、そうした権限の集約が学者による独自の予知手法の開発を妨げるという見方もある』

しかし、「地震警報システム」という“システム”は活躍している。
問題は、そのシステムが威力を発揮するのは「地震発生直後」であって「地震発生前」じゃない。

阪神大震災後、そして東日本大震災後、これだけ時間が経過し、つらい思いをしてなお地震警報を怠ってしまうのか。
世界一の水準を誇ると云われる日本の地震予測技術につぎ込まれた莫大な税金は一体どこへ消えてしまったのか。

さらには今回の“余震”が起きた後でさえ、こんな頼りない“警告”しか公表されていない。
曰く、
【引続き、1週間以内ぐらいの間に中規模以下の余震(M6.0〜5.0クラス)が数回発生する傾向】
【引き続き余震(余震の余震)に警戒を】


と、いう訳で、またもや非難めいたブログになってしまった。
(そんなつもりはなかったのだけど・・・)

ならばついでにWikipediaの「地震予知」からつまらぬ引用をして茶を濁そう。

『日本では、例えば1996年から2005年までの10年間に人的被害を伴ったM6以上の地震が33回発生している(気象庁のまとめによる)が、予知に成功したケースは1度も無かった。日本で「現状の地震予知は疑似科学の領域である」と揶揄されるのはこのような実績の無さが原因とされる。しかしながら、気象庁はそもそも現実的な地震予知の対象を東海地震のみに限定しているので、「予知に失敗した」という指摘は本来正しくない。また他の研究機関等が地震の発生を警告することは、社会的影響が大きいために慎重にならざるを得ないことも考えられる』


 

posted by タケシ・トラバート at 03:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ふと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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