2012年10月01日

◆ すぐに報道されなくなる「戦」 &「反戦歌」& Tom Waits 『Day After Tomorrow』 ★


works



 このライヴ動画、じつは自分だけでこっそり、、、などと長い間、リンクしてみるなんて考えたことも(笑)なかった。

 でも、いま、この時期、戦争に関するニュースが減ってきて、これは・・・、情報の賞味期限なるへったくれが、またずいぶんと早く、はたしてつくづく思う、ふとこの衝動的な瞬間、いったい何のハナシだ? と、わき道に迷い込んだところで

  トム・ウェイツ

 またかいな、と、思われる方もいないともいいきれなくもないこのアブストラクトな瞬間、
 Tom Waits が2003年 アフガン侵攻につづく自分の住む国” がおっぱじめたイラク戦争開戦

 その後の泥沼期に作った「Day After Tomorrow」
 この曲 戦地で孤独な夜を過ごす とあるしがない兵士の
 おそらくは恋人 そして母親に宛てた とある 詩的な 
  手紙
 
 露骨な「反戦」「プロテスト」な表現はないのに ここまでの説得力

 Live映像が登場してから かれこれ100回以上は観てる聴いてる毎度の小生

 ◆2004年に発売された名アルバム『REAL GONE(リアル・ゴーン)』に収録
 このLIVE自体は日本でも豪華ブックレット版がでた名大作『オーファンズ』
 アルバム発表後のツアーから◆



 思えばトム・ウェイツ 「反戦歌」なるものはほとんど歌ったことがない(はず)

 1983年の『ソードフィッシュトロンボーン』にある「兵士の持ち物(soldier's things)」などが かろうじて

 (たしかクリス・ブラックウェルが救いの手を差し伸べた最初のアルバム『S・T』)
 そして この名曲

      「Day After Tomorrow」 

 73年のオフィシャル・デヴュー以来 初めての本格的な「反戦歌」

 Albumのヴァージョンも素晴らしいけれど、このLIVEヴァージョンの切々とした声と歓声・・・

 今後、いつの時代にも、歌いつがれていかなければならない名曲のひとつ
 
   ◆

日本でも瞬間的に大きく報じられた「シリア」・・・ 
 忘れた頃にほんの数行(数秒)取り上げられる「アフガン」
 「報道価値」が低いのが理由で ほとんど黙殺されてる「南北スーダン」・・・
 「マリ北部」その他アフリカ諸国での紛争・・・
 他にもまだまだ伝え あるいは 知らなければならない現実が
 あまりに あり過ぎ・・・

 そしてNATO軍を実質的にコントロールするアメリカと アメリカ軍の その
 あまりの「出口なし」
 (この数カ月間だけは大統領選関係のニュースで国民の目をそらすことが可能だが)
 にっぽんも またしかり

 と だから どうだというのか?

 歌詞を何度も何度も聴いて欲しい(英語が苦手な方はDay After Tomorrow にLyricが出ています) 
 







          One Love & Love


works




takeshi marumoto
posted by タケシ・トラバート at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 抵抗文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月28日

【ポエトリー・ギャングスターズ】久しぶりにメンバー全員が奇遇なことに再結成 9月の「いのちの祭り」にて


12年ぶりに戻ってきた「 いのちの祭り 2012 --NO NUKES ONE LOVE-- 」
開催期間:2012年9月14日〜17日(連休中の四日間)
開催地  :富士山麓 朝霧高原 
ふもとっぱら

その四日間の内、どれかに
かれこれ長いこと “オールスターキャスト” でパフォーマンスしていない、
神出鬼没の
気まぐれ詩人集団
    【ポエトリー・ギャングスターズ】

アースデイ:ラストワルツ-3 (2).jpg
        コピーライトマークOVERHEAD

奇遇なことに
初期のメンバーが全員
ふたたび同じステージに現れます。

’50年代から受け継がれてきたカウンターカルチャーと、
オリジナル・ビート・ボヘミアン・スピリットを、
新しい世代に伝え続けている数少ない、
センチメンタルでサイケデリックな語り部媒体……

  POETRY GANGSTARS

(違う探し物をしていたら、突然出てきた記録。編集しても15分、と長い)
ちゃんとした映像記録がほとんど残っていない【ポエトリー・ギャングスターズ】。
映像は2009年の「アースデイ東京」代々木野外ステージ上でのもの。

◇視聴の際はフルスクリーン・フルヴォリューム・最後のエンドロールまで付き合う覚悟で!
 

☆この場をお借りして、小生の独断で、それも各パフォーマーの許可なしに、
(みんな優しいので許してくれるでしょう、と)、それでも泣く泣く、カットカットカットアップ……
お許しください。

◇ムロケンさんによるリーディングは、あの夜、抜きん出ていたので、ほぼFullVersion。

◇生れて初めて当日、ビデオカメラを手にし、撮影してくれた故・金坂今日子さんにも感謝。

◇このステージから約3年とちょっと。各メンバーの新アプローチも楽しみな9月中旬。





posted by タケシ・トラバート at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 抵抗文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月13日

☆ いのちの祭り 2012 ☆

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 ★(追記:「いのちの祭り2012」オフィシャルサイトが開設されております。
  最新情報・更新情報は➔いのちの祭【公式ページへ!】)
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 ことし2012年は、12年に一度だけ開かれる『いのちの祭り』の年。

先日、「いのちの祭り2012実行委員会 現地ミーティング」が、今回の会場となる富士山麓は朝霧高原、「ふもとっぱら」という、
その名も広大で、大地も緑も山も空気も風も時間もハイ次元な土地で、雨の中オールナイトで行われました。
(もちろん諸般の理由でメンバー全員参加とは〜このご時世なかなか難しいので、中核を担う委員会メンバー十数名ほど)
日付が変わり6月8日、そして7日の日曜日には『いのちの祭り2012』情報解禁、となりましたので、
この場を借りて「ある程度の詳細情報」を「引用公開」させて頂きます。

◇以下引用は、「いのちの祭り2012」実行委員会に由るものです。
(2012年6月12日、時点)

inotinomaturi kaijou.jpg

********************************
■『開催日時』2012年・9月14(金)〜17日(月=休日)
■『開催期間』4日間
■『会場予定地』 静岡県富士宮市朝霧高原
「@ふもとっぱら」オートキャンプ場
http://fumotoppara.net/

■『会場イメージ』
☆レインボーステージ
色鮮やかなエンターテイメントステージ

☆ドームエコロジーエリア(ピースドーム)
太陽光発電を駆使したオリジナルな演目が登場するステージ

☆ティピテント大地エリア(お祭り広場)
全国各地の祭りオーガナイザーが企画を持ち寄り祭り本来の息吹を感じるエリア


☆バランスラウンジ(室内)
お洒落なラウンジにて繰り広げられるシンポジウム、愉快なトークショー、
各種ダンスパフォーマンス、エリア

*ステージ名称の訂正などがありましたら随時編集いたします。


他に
「ワールドキッチンエリア」「無国籍バザール」
「祭りFM」 「サイバーエリア/動画配信」、ワークショップ、などなど・・


●ミュージック

■(了解済み)出演日程は後日詳しく報告します
亀淵友香、南正人&祭り仲間?、ランキン・タクシー、内田ボブ、岡野弘幹、 CHINA CATS TRIPS BAND、せいかつサーカス、オゾンベイビー、 FLYINGDUTCHMAN、
Dr.SEVEN(Dr.A.SEVEN)、 SORMA、真砂秀郎、フリーキーマシーン、梅津和時、 海老原よしえ、つちのこかぞく、SOFT、 ストーンドロッカーズ&ゲスト/レゲェシンガーズオールスターズ、アンバサ、 梶田イフ、及川禅、虹尾わたる、小川美潮、制服向上委員会、WildFlowers、ラビラビ!!

(現在打診中及び日程調整中)
喜多郎、山下洋輔、石田壱成、カルメン・マキ、Satyananda Das & Hori Dasi/バウルの歌(インド)、
DACHAMB、喜納昌吉、サンディ、GOCOO、沖さん& レゲレーション・インディペンダンス、タートルアイランド、窪塚洋介(卍LINE)、
加藤登紀子、 サヨコオトナラ、三宅洋平、他・・・

●☆DJに関しては徐々に発表していきます。

●☆VJ&照明&ライトショー 
OVERHEADS、イルムネムジカ、他・・・

●ダンス(ショービズ、ファイヤー、コンテンポラリー、インド)
COCO鮎美,BIANCA&GuacamoleQueen。
takacosmos<縄文回帰ファイヤーショー> 他 ・・・

●アート&パフォーマンス(確認中も有り)
GRAVITYFREE、薬師丸郁夫、劇団「魔法使い」 、R領域(山田卓)、西村公泉、故:アキノイサム、
ピースマーク・プロジェクト(仮称)=BE−in東京、宇宙オペラ&100%Love&PeaceParade, 他・・・
 
●詩人&語り部 (確認済み)
白石かずこ、おおえまさのり、ロバート・ハリス、室矢憲治、丸本武、六弦詩人義家、服部剛、風月のJUN、美音妙子、平山昇、

(打診担当検討中及び日程調整中、)
北山耕平、佐野元春、山本太郎・田中優、広瀬隆、ナーガ、ゲーリーシュナイダー、龍村仁、龍村ゆかり、四万十川の木村とおる、他・・・

●インターネットラジオ
●インターネット動画放送、
●関連連携企画
山水人のまつり(京都)、RAINBOW2012(阿蘇)、
銀河縄文夏至祭(千葉)、ひかり祭り=打診中(神奈川)、

●記録      
井出組(井出情児&&&)他・・・・


  ◇企画制作「いのちの祭り2012」実行委員会  


*記載の名称クレジットや確認の間違いや不手際がありましたら
即刻!訂正いたしますのでご連絡ください!


 

****************************
実行委員会作成
今後、新たな決定事項&変更等あり次第、同ブログでも訂正してゆきます。



情報転記転載責任:丸本武
posted by タケシ・トラバート at 23:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 抵抗文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月07日

「★いつの時代にも「革命」の陰にはボブ・ディランが・・・★」

【ボブ・ディラン中国初公演☆デビュー50周年記念】

☆ こんなニュースが飛び込んできて、何かを書くなというのが無理なハナシ。


一年前、残念ながら実現しなかったディランによる初の中国公演が決定
!!

しかも、このタイミングに! 


◆北アフリカと中東での民主化運動に敏感な中国、そして元祖フリーダム・ファイター“
BOB DYLAN”と、彼の初の中国公演については、AFP記事本文や末尾リンクの「テレグラフ」誌、又はAP通信からのニュースを参考にして頂くとして……

まず、個人的な話から始めてしまおう。


◆私がボブ・ディランにのめり込むキッカケは、
遡ること
1984年。

当時発売されたばかりのアルバム『リアル・ライブ』のカセットをプレゼントされた瞬間に始まる。


ソヴィエトではゴルバチョフがペレストロイカを転がし始め、世界中で何かが起こりはじまりそうな季節だった。


エチオピアでは人類史上未曾有の飢餓が起こり、その現状を黙って見ていられなくなった“かの”ハリー・ベラフォンテと今は亡きミリアム・マケバが壮大な構想を練る。

◆同時期に、ロンドンではボブ・ゲルドフと
BONOがベラフォンテの企画を実現させるべく「ライブ・エイド」を提唱し、世界規模のチャリティー・イベントやコンサートを行った。

1985年が明けてすぐ、アメリカもそれに呼応し、クインシー・ジョーンズ&マイケル・ジャクソン&ライオネル・リッチーが中心となって、あのミラクル・プロジェクト『U.S.A For AFRICA』が始動する。

当時最高のアーティストたちが「
We are the World」に命を吹き込むため、アメリカン・ミュージック・アワードの夜、LAのスタジオに終結し、その場で各自のパートを覚え、夜明けには目も眩むような合唱を加え、結局たった一晩で奇跡が実現してしまう(詳しくはジェーン・フォンダのナレーションによる有名な「メイキング・オブ《ウィー・アー・ザ・ワールド》」をご覧ください)。



それはともかく、当時、何をやってもウマくいってなかったディラン。でも、あのヴォーカルをみる限りにおいては最高に輝いていたとしか言いようがない。
最も印象的な部分を大トリ、レイ・チャールズの前にディランは歌い、ガキだった私は鳥肌が立ったことを今でもハッキリ覚えている。

ボブ・ディランのライブを初めて筆者が観たのは、アルバム化もされたあの初来日公演、ではなく、ようやく1994年になってからだった。
それ以降、日本だけでも十回以上は彼のライブを体験してこれた。
彼のライブ・パフォーマンスには日によって波があるが、たとえば3
日連続ライブを観た時……二日目の中日はやはり中弛みぎみ……という周囲の指摘とは意見が違い、不機嫌そうに演奏するディランがまた、とてもよいのだ!

毎晩、ライブセット(演目)を即興で変えてゆく、と有名な彼のステージ。あまり調子の良くない晩でさえ(例えば、最初から最後まで観客に背中を向けてボソボソ歌ったり、せっかくの名曲を一本調子に崩して歌ったり、詩的な歌詞をとことん間違えて歌ったり……)、私にとってはそれがボブ・ディランなのだった。


◆果たして、中国公演がちゃんと実現し、素晴らしい演奏を観客に披露でき、初の訪問が大成功のもと終えられるかどうか分からない。
でも、そんなことはどうだっていい。

それ以前に、中国で(中には
50年近く彼の来中を待ちわびていたファンもいるだろう)満員のスタジアムに集まった観客が、進化しつづけるディランのパフォーマンスをどう受け止めるのかが私には興味津々なのだ。

つい先日のグラミー賞で見せたボブ・ディランのパフォーマンスが記憶に新しい。

bob d 2010.jpg



あの境地まで達してしまったディランは凄いが、そんな彼を初めて生で観る中国人はどんなリアクションを示すのだろう?

そして、とっくの昔に反体制的な歌を歌わなくなったディランは、中国政府が現在行っている情報規制をどう思うのだろうか?(彼のことだからどうも思わないだろうが)。

或いは、どんなパフォーマンスを見せたとしても、かつての『反戦歌手ボブ・ディラン』というイメージの上陸、という“事件”だけで中国の若者たちの体制に対する鬱積した不満を突き動かすのだろうか?

◆情報規制が強まっているとはいえ、「中東革命」の情報を様々な方法で入手し、完全な民主化を求める若者たちの今後から、とにかく目が離せない。



タケシ・トラバート& 丸本武

◎参考までに:
Bob Dylan allowed to play in China

American legend gets go-ahead for Beijing and Shanghai concerts a year after China trip was cancelled ↓
http://www.telegraph.co.uk/culture/music/bob-dylan/8361377/Bob-Dylan-allowed-to-play-in-China.html

posted by タケシ・トラバート at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 抵抗文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月11日

『中東革命:抑圧されてきた文化人たちのこれから』

 

いま、エジプトをはじめ、幾つものアラブの国で回転し始めたレボリューションの連鎖を遠い日本という“民主国家”から見ていて、ふと思う。


いままで政府や軍によって規制されてきた文化活動。
その多くが陽のあたる場所で、堂々と行われるのだろうと……

エジプトはもちろんのこと、ヨルダンでもシリアでもイエメンでもアルジェリアでも政権によって抑圧されてきた優れた作家や映画監督や詩人、そして思想家や画家たちがたくさんいることは、直接的にも間接的にもたまたま知っている。


その中には「反国家的人物」、「反政府主義者」といったレッテルを貼られ、思想犯として獄中で生活している人間も多い。

そんなかれらの眼にこの一連の変化は、どのように映っているんだろうか?


実は先日、
Skypeを使ってダマスカスとテルアヴィヴにいる友人のジャーナリストたちとテレビ電話を通して様々な議論をしてみた。
と言っても、もっぱら彼ら彼女らから見た現地で活動する作家たちの現状について、個人的な意見を聞いたに過ぎないのだけど、表現者たち、特に若手表現者たちが抱えるストレスはいま現在も相当のものだという。

ラシード・マシャラーウィ 2008.JPG
                    ラシード・マシャラーウィ監督

かれこれ二年半前、2008年東京国際映画祭で来日した『外出禁止令』『ウェイティング』、
そして傑作『ライラの誕生日』で有名なパレスティナの映画監督、ラシード・マシャラーウィ氏にインタヴューした際、
「チュニジアやアルジェリアにも優れた映画作家たちが多くいるが、かれらが制作した作品が発表される機会はほとんどないんだ」とボソッとつぶやいたのが忘れられない。


他にも、『テロリズムとケバブ』で有名なエジプトのシェリーフ・アラファ監督などは、コメディ作品でその名をアラブ圏にとどろかせたけれど、当の本人はもっとポリティカルな作品を作りたいはず。それは彼の映画のそこかしこに見え隠れしていた。


同じエジプトでも、『ヘリオポリスのアパートで』を撮ったムハンマド・ハーン監督は、政府に対しあからさまな批判をとり、なかなか撮りたい映画に取り掛かれないでいる。


また、『タクシーサービス』のレバノン人映画監督エリー・ハリーファもまた、思うように作品が作れず苦悩している。


今後の中東での動静いかんによって、現代アラブ文化の成長が国際舞台で評価されるようになるかならないか、目が離せない。

そしてアラブ世界の映画監督だけでなく、作家や詩人たちの活躍の場が広がってゆくことを切に願う。


丸本武 & タケシ・トラバート


posted by タケシ・トラバート at 07:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 抵抗文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月30日

【パラダイスを求めて:終わらない超現実への旅】下

シャシャマネ郊外 (3).jpg

【パラダイスを求めて:終わらない超現実への旅】

後篇

ここで少し、
20世紀中葉に興ったとある文化的抵抗運動についてふれてみたい。
なぜなら、それは我々が生きるこの21世紀という漠然とした時代に、いまだ多大な影響を直接的にも間接的にも与え続けている運動だからだ。
それ以前の話をしたところで、いま、我々が必要としている叡智や結束力といったパワーには、そう簡単に結びついてくれはしない。 

では、時計の針を数十年戻してみよう。

時は第二次世界大戦終結直後。人類が初めて、その無限とも思える最終兵器“核”が戦勝国アメリカのみならず、世界各地で実体のよく判らぬ新たな恐怖として浮上してきた頃だ。 
それはのちにコールド・ウォー、そう、冷戦と呼ばれるようになる暗闇に大国が突入してしまった時代だ。 

しかし、アメリカ本土ではその恐怖に蓋をするかのように、戦争景気の余韻を誇張し、新しいファッションや物欲をかきたてる様々な電化製品・インテリア製品を過剰にコマーシャルし、一般市民は政府とメディアが提示した理想的生活へと現実逃避していった。 


そんな中、こんな薄っぺらでリアリティーが排除されたイミテーション・ゴールドには騙されてたまるか! とばかりに銀幕に躍り出たジェームス・ディーンやマーロン・ブランド。その挑発的な歌い方とリズムで盲目になってしまった社会に強力なパンチを食らわせたエルビス・プレスリーやリトル・リチャード。そして、既存の文学をぶち壊し、新しい文体と再構築された無数の言葉で、腐りきったバビロン・システムをひっくり返してしまった放浪作家ジャック・ケルアック。さらには、現在にいたるまで連綿と受け継がれてゆくことになるカウンター・カルチャーの礎を築いたビート詩人アレン・ギーンズバーグやゲイリー・スナイダーたち…… かれらが生き、旅をし、青春を謳歌し、恋をし、創作し、天空に巨大なヴィジョンを描いた1940年代後半から50年代後半までの約十年間に、のちの「ドラッグ・レボリューション」へのヒントが全て隠されていると言っても過言ではないだろう。 


「大麻文化」「サイケデリック・カルチャー」について語るにあたり、この時代についてさらに詳しく述べる必要があると思うが、それだけで数冊の本が出来てしまうので簡単に触れるまでにしておく。 

 

始まりはジャズマンたちの火花を飛ばすような夜明けのジャム・セッション。
でも、そんな火薬に本当の意味で火を付けたのは「ビート」たちだった。
 

正確に記せば、1946年のとある日、のちに世界で最も影響力を与え続けることになる詩人であり作家であるジャック・ケルアックと、「路上の天使」ことニール・キャサディがニューヨークのとある薄汚れたアパートで出会ったのが、「こと」の発端だった。 

その歴史的出会いの直前までニール・キャサディはできたてホヤホヤのハイウェイ「ルート66」のアスファルトが乾くか乾かないかという時代、戦争景気で浮かれはしゃぐアメリカ人を尻目に大陸を西へ東へ目的も目的地も目的意識もなく車を走らせていた。もちろんケルアックと知り合ってからますますキャサディの天才的ハンドルさばきと彼らが転がす車のスピードはエスカレートしてゆくのだが、その話は他のところでしよう。 

とにかく、その時期からドラッグが本当の意味で人と人とを結ぶものとなっていった。ドラッグが(当時はマリワナとアンフェタミンが主流であったが)かれらの創作活動に徹底的に関わり始め、資本主義の亡者と化した超大国アメリカに堂々と中指を立て、おのれがおのれらしく自由に生きることを賛美し、それを人生の最優先事項としていった路上のヒーローたち。 

のちに「ビート・ジェネレーション」と呼ばれるようになるひとつの確信犯的世代は、60年代に入ると、そのスピリットを次の世代へと伝えていった。 

フラワー・パワー、サイケデリック革命、反戦運動、公民権運動、サマー・オブ・ラブ、ティーチ・イン、シット・イン、スモーク・イン、ヒューマン・ビーイン集会、そしてウッドストックへとなだれ込んでゆくヒッピー世代である。 

 

その頃になると使用されるドラッグは量もバリエーションも桁違いにパワーアップしてゆく。
それまで主流だったマリワナやアンフェタミンに加え、
スイスのアルバート・ホフマン博士がライ麦の麦角菌・アルカノイドから“発明”してしまったLSD(正式にはLSD25 リゼルグ酸ジエチルアミド)
……
アメリカ大陸先住民が儀式に用いていた幻覚サボテン(ペヨーテ)
……幻覚キノコ(マジック・マッシュルーム)……と、精神にダイレクトな影響を与え、強力な意識変貌をもたらすスタッフが“ドラッグ・リスト”に次々と加わっていった。
 

 

かつてジャズマンたちの密かな楽しみとして用いられていたマリワナは、平和のシンボルとして用いられるようになり、同時に性の解放やアフロ・アメリカンの人権運動(公民権運動)を急速に推し進めるようになっていった。 
また、肌の色で人格までも判断していたレッドネックや、女性解放運動に水を差そうとする男性優位主義者たちを駆逐するためのツールのひとつにもなった。
階級制度・人種差別といった壁をぶち壊してゆこうとする若者たちにとって、マリワナを吸引すること自体がスクウェアな全体主義者たちへのプロテストとなっていったのだ。
 

さらに、「サイケデリックス」と総称される幻覚作用のあるドラッグの中でも、最もポピュラーな存在となった
LSDが加わったことにより、若者たちだけでなくアカデミックな世界に生きていた学者や弁護士、そして医者や教師たちの中からもLSD体験により人生観だけでなく世界観まで覆されてしまった者も次々と現れ出した。
 

そういった人間の中で、現在でも多くのドキュメンタリー映画や伝記本の対象となっている人物は多い。

その中には、ハーバード大学の教授で心理学者でありながらのちに「LSDの伝道師」に変身してしまった、かのティモシー・リアリーや、彼の同僚でありのちにラム・ダスという名前に変えたリチャード・アルパート。
著名な哲学者・作家であるオルダス・ハックスリー、やはり著名な精神科医であったハンフリー・オズモンド、またはジャッキーこと元ファーストレディのジャクリーン・ケネディ、イッピー活動家として抵抗運動を引率していったアビー・ホフマン、またはキング牧師とともに公民権運動を引率したカリスマ的リーダー、ジェシー・ジャクソン師。
映画史始まって以来の大俳優一家フォンダ家からはピーター・フォンダ、デニス・ホッパーを筆頭とするニュー・シネマの旗手たち。
またはニュー・ジャーナリズムというジャンルを確立させ、いっときは米大統領より有名だったハンター・トンプソンやトム・ウルフ。
スーパーモデルであり時代のアイコンでもあったイーディ・セジウィックやツギー、そしてニコ。

もちろん音楽界に大革命をもたらしたボブ・ディランやジョン・レノン……、ラスタの伝道師ボブ・マーレイ……、と枚挙にいとまがない。
 

かれらのほとんどは、1950年代後半から60年代にかけて全米で盛り上がったビート・カルチャーに啓蒙され、そして60年代中葉にピークを迎えたヒッピー・ムーブメントとカウンター・カルチャーに多大な影響を与えたのだった。 

 

世界がまだ混迷していた20世紀中葉に、ニューヨークの場末のアパート、その一室で産声を上げた詩と文学のささやかな革命は、当事者たちの手を離れ、いまや世界中の学者や作家、そして芸術家や音楽家たちに計り知れないほどの勇気を与え続けている。 

では、そのささやかな革命とはいったいどのようなものだったのだろうか? 

ここからはマリファナや三大ハード・ドラッグと呼ばれるコカイン・ヘロイン・アンフェタミンに市民権を与えることになった「ビート・ジェネレーション」にスポットを当てて話を進めてゆこう。

「ビート」を語らずしてドラッグを語ることは不可能であり、また、許されないことなのだ。

 

日本でもかつてそうであったが、とりわけアメリカやヨーロッパ諸国の若者たちはケルアックが三日三晩で書き上げた長編小説『オン・ザ・ロード(路上)』を旅のバイブルであるかのように鞄に忍ばせ、ろくなガイドブックもなかった60年代から80年代にかけ文字通り世界の果てまで何かにとりつかれたかのように放浪していた。 

当初、かれら、魂の旅人たちの多くにとって旅のガイドブックといえば、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』や『シッダールタ』、セリーヌの『夜の果てへの旅』、ウィリアム・バロウズの『裸のランチ』や『ジャンキー』、または流浪の楽師ウディ・ガスリーが著した『ギターをとって弦をはれ』、そして精神世界への教科書『ビー・ヒア・ナウ』といった書物であった。 

それらの書物を旅路のマイルストーンとし、未知なる世界を探しに、そして未知なるドラッグに出会うため、世界各地へと旅立っていった。 

しかし、何といってもかれらを惹きつけてやまなかった書物は、常にジャック・ケルアックが50年代に執筆した諸作品である。 

20世紀最高の文学ともいわれる『路上』を筆頭に、『ダルマ・バムズ』『荒涼天使たち』『地下街の人々』は当時も今も窮屈なシステムにウンザリしていた若者たちに対し、ゆくべき“道”を明確に指し示していた。 

同時にそれまでドラッグの陶酔感にただ溺れていた者や、一時的な現実逃避や刹那的な快楽を得るためだけにドラッグを用いていた者たちに、もっと素敵な使い方があるじゃないか、もっと広い世界を知るためのツールとして捉え直すことができるではないか、と気付かせる究極の手引書にもなった。 


そんなビートの洗礼を受けた旅人たちは、行く先々で様々な奇人・変人と出会い、時には騙され、時には極上のマリファナを与えられ、時には強烈なカルチャーショックと幻覚剤で死のふちをさまよい、時にはうるわしの紫煙を漂わせたエキゾチックな美女と至福のひとときを過ごし、学校や実社会では決して学ぶことのできない本物の人生学を身に付けていった。 

それはいままで信じていたリアリティーの崩壊であり、いままで存在すら否定していた壮大な森羅万象との融合でもあった。 

もちろん、中にはドラッグ体験や瞑想によるトリップにより剥き出しにされたおのれの醜いエゴと直面し、それに自ら押し潰されるかのように廃人になってしまった者もいた。
あるいは、剥き出しになった本能をコントロールできなくなり、邪悪な道へ進んでいった者も少なからずいた。
 

しかし、ケルアックやアレン・ギーンズバーグの詩を通し、「人生の選択」を迫られた経験のあるほとんどの旅人は、魂の真の探究者となり、それまで影響を受けてきた先駆者たちのアドバイスに敬意を示しつつも、それぞれがおのれの生き様や体験を土台にオリジナルな美学を形成し、自分自身がストーリーを転がしはじめ、その主人公となり、またヒーローとなっていった。 

それはちょうど、旬のものは旬なうちに食べるように、季節のものはその季節に食べるように、土地のものはその土地で食べるように、ドラッグとうまく付き合ってきたという結果でもある。大麻

草が豊かに生い茂る大自然の中で、自然児のように身も心もハダカになり、心ゆくまで聖なる草を吸い込んだ魂からは美しく輝く理念しか生まれないのと同じように……。

   
posted by タケシ・トラバート at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 抵抗文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【パラダイスを求めて:終わらない超現実への旅】上巻

シャシャマネ郊外.jpg

【パラダイスを求めて:終わらない超現実への旅】
序章
 


大麻の歴史は紀元前数千年まで遡ることができるだろう。
半ば風化しているその歴史をひも解いてゆくこと自体は楽しくもあり、また、好奇心をそそるものでもある。

しかし、いま、我々は哀しいかな、この腐敗した社会と老いさらばえた世界を前にし、悠長にビーチで寝転がりながら、あるいは都会のマンションの一角でこっそりと「聖なる草」と無邪気に戯れてばかりはいれない。

大麻が秘める可能性が次々と明るみにされてゆくのと反比例するかのように、今日、その用いられ方が低下しているのは悲しいばかり。
 

とりわけ日本における扱われ方は、カビのはえた法律とそれに隷属するメディアの“盲目な不文律”をもち出さなくとも明々白々だ。
本質を論じもせず知ろうともしない側が一方にあるかとおもえば、本質に迫ろうとも見極めようともしない使用者たち……。たとえ百歩譲ったとしても時代錯誤のはなはだしさには溜息さえ出ない。 

 

これは「体制」のみではなく、いとも呆気なく暗示にかかってしまう我々一般市民にも非があるだろう。いよいよもってこのニッポンという元先進国は“精神後退国”の名をほしいままにするかの如く〜


大麻に纏わるマスメディアの相変らぬ幼稚な論調は“言論の自由”として大目にみることはできるが、せめて個々のレベルにおいてはもう少し品位を重んじた接し方を。 

芳しき一服を感謝の祈りと共に味わえ、とまでは強いろうと思わない。
「ドラッグ」とどう向かい合うか、ということに関しては全くもって個人の自由。
しかし、時代や世相に適した用い方というものもまた必要な意識。
 

それは、多くの識者が云うところの、
「急速に失われつつある世界的な共同体意識」たるものを直ぐにでも取り戻す必要がある、という警句にリンクする。
 

“今”我々が身につけるべき重要な時代感覚とはどのようなものだろうか? 

こう答えてみよう。
「曖昧になったおのれの存在意義と、巨大なシステムにズタズタにされた精神世界への旅路を修復すべき時である」と…… 

困難な時代が訪れる度にその本来のパワーを発揮してきた不可思議な薬草、そう、マリワナの映し出すヴィジョンを再度、読み解く“時”であるということ…… 

 

偉大な芸術作品や書物がいつの時代でも、その時代に見合ったヒントをもたらすのと同じように、マリワナを筆頭とする向精神薬物のいくつかは、世界が不自然に歪み始めると面白いことに、警告の紫煙と時に適った未来図を我々の魂のスクリーンに映し出してくれる。 

それに気づくか気づかないかは、摂取した本人の精神レベルがどのような状態にあるのか、ということと大きく関係してくる。 

 

環境問題に強い関心がありつつも第一歩を踏み出せない者に対し、あるいは、悲惨な世界情勢に強い問題意識をもっている者に対し、マリワナはその問題意識をさらに強固で具体的なものに昇華させ、何かアクションを起こさせるキッカケとなるものをストレートに提示してくれるだろう。 

故にこの時代、人間本来の力を導き出すツールとして「ドラッグ」と改めて対峙してゆくことネセサリー…… 

 

一般に「ドラッグ」と総称されるもののほとんどは、それぞれに「用い方」がある。

もちろん、正しくない用い方についてはいまさら語る必要もない。
もし、その悪しき一例を挙げなければ〜であれば、戦時下におけるブレイン・ウォッシュだろうか。
 

もちろん、正しくない用い方があるのなら、正しい用い方だってあってしかるべきである。
ところが、こと「ドラッグ」に限っては、正しくない用い方はあっても、正しい用い方というものを定義づけることが不可能……
 

瞑想に入るための手助けとして用いられる場合もあれば、医療の現場で活躍する場合も多い。
娯楽として使用されることもあれば、自己と向き合うための愉快なナビゲーターとして用いられることもある。 

そして、忘れてならない大切な用い方として、人類がこの惑星に誕生する遙か昔から存在しながらも、不可知なものとされてきた“宇宙意識”とダイレクトに繋がるためのツールとして「ドラッグ」を扱うこと……

それを忘れてただプカプカ吸うだけなのなら今すぐ止めた方がいい。
そうゆう人間に限っていともあっさり檻の中へ放り込まれ、志の高いカナビス愛好家の方がたに多大な迷惑をもたらしてしまうのだから……
 

 

自然界はどうゆうわけか我々が想像することすら出来ないポジティブなパワーを、しかるべき時に、しかるべき者へ、しかるべき方法で与え続けてきた。 

宇宙意識とは、時空や地理的距離を超越したところで、真のボヘミアンたちが共有する連帯意識だ。

同時にまた、旅人たちの精神がある一定の高みに達したときに、必然と起こるシンクロニシティでもある。
これこそが、混沌とした現在に生きる我々にとって「ドラッグ」と接するときに最も重要な“認識”かもしれない。 

ところで、そんなこといわれても……何のことだかさっぱり解せぬという読者も多いことだろう。だが、人類史を簡単に振り返ってほしい。 太古の昔からドラッグとは何か大切なものを共有するためのものでもあり、盲目になった俗世界の迷子たちを万物の核心へといざなう「架け橋」となってきた。

中南米のシャーマンたちが幻覚キノコの引き起こすトランス状態で自らが“媒体”となり、自然が発する危険信号を村人たちに伝えるのと同じように……
 

ついでに、これまで公にはほとんど書かれることのなかった“世界的共振性=ハイパー・シンクロニシティー”の輪に加わる「ゲートウェイ」ならぬ「リンクウェイ」としての大麻、といった側面も見逃してはならない。

それについては後の章でさらに深く掘り下げてみたいと思う。
 

 

その前に、まずは汚染された心をきれいさっぱり リセット しよう。
知らぬが内にコントロールされてしまったマインドとメンタル、ドラッグへの先入観を取り払う作業から始めなければならない。
多少の時間と努力は必要だが、ひとつひとつ扉を開けてゆけばそう難しいことではない。 

これらのことを踏まえ
     た上で、大麻(マリワナ)を主軸にドラッグが我々の生活にどれだけ密接しているのか、どれだけ必要不可欠なものであるのか、様々な角度から見てゆこう。 

 ―――我々はまだ21世紀をちゃんと迎えられていない。 マリワナを人類が太古のように完全に受け入れるまで 21世紀は“お預け”なのだ――― 


posted by タケシ・トラバート at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 抵抗文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月21日

ジャック・ケルアック 40年前の今日 命日

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毎年、【10月21日】という日付が巡ってくると
どんなに大事な仕事だろうと、世界のどんな土地にいようと、
どんなにツライ日だろうと、どんなに浮かれた日だろうと、

ひとり 喪に服し 

そのほかのあらゆる物事をキャンセルしてきた

それを、もう、かれこれ20年以上続けている。

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Jack Kerouac

この男がかつて生きたことに私は感謝しなければならない。

良くも悪くも私の人生を、サーカス小屋の如く騒々しくしてくれた男だ。

ジャック・ケルアック:1922年現世に誕生

孤独で騒がしく、寂しがり屋でお喋りで、著作を読むとずっと旅をしていたような作家だけれど、実際のところ彼の短い人生の中の十分の九はママと一緒に暮らして、タイプライターと格闘し続けた愛すべきヒューマン・ビーイング。
現在のポエトリー・リーディング・シーンの土壌を作り、歌もうまくて女にももてて、女に溺れなくても酒に溺れて、短気で穏やかで、神経質でだらしなく、誰からも愛されたボヘミアン。

一部しかまだ日本語訳されていないけれど、生粋の詩人でもあり、その詩は彼本人の声と感情で読まれることによってはじめて命が宿るような気がする。
しかし、同ジェネレーションのバロウズと同じく、造語(捏造語)が無数に飛び交い、本当に彼の作品を理解するには、ケルアック本人にならなければならないだろう。
でも当の本人でさえ自分の作品なんか理解してなかった
かもしれない。

これはあくまでも勝手な主張に過ぎないけれど、自分の作品を本当に理解しているアーティストは本物のアーティストなどではないと確信している。

ケルアックはそういう意味でも本物のアーティストだった。


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posted by タケシ・トラバート at 06:19| Comment(0) | 抵抗文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

ジャーナリストの死:アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺3周年

20090915120222.jpg


また冷戦時代のキナ臭いカーテンに覆われてる、
最近のロシア...

2016年のオリンピックがどこに決まろうと、日本の政権が変わろうと、
ここんとこまともに眠れなかろうと、仕事がはかどらなかろうと、

そんなことは どうでもいいのです

なぜ、スマトラでまた大きな地震があって、1千人以上の死者が出て、まだ4千人を超える人々が生き埋めになっているのに、
「オリンピック誘致、東京敗北〜」なんて、のんきなニュース聞いてると、メディア・ジャックでもしたくなります。

もとい、ロシアとチェチェンの話だ。

今世紀に入ってからだけでも、プーチン&メドヴェージェフ政権に批判的な記事を書いたり、リポートしていたりしてたジャーナリストや人権活動家が次から次へと“消され”ていってる現状について、
何故に日本のメディアは然るべく状況を探ることもなしに、ただボケーッと知らん顔してるんでありますのでしょう。。。

俺たちに関係ないことだからって「伝えようとしない」のは、メディアに関わる者すべての犯罪行為である、と、前々からクドイほど小生はブッてきましたが、
ここまでシラをきられると、さすがにムキにもなってきますね〜

◆昨夜、2006年10月7日(プーチンの誕生日)に暗殺され、プーチン政権批判(&プーチンの犬で、チェチェン民衆の反対を押し切ってロシアが強引に大統領にさせたチェチェンのチンピラ大統領、カディロフ批判)の先鋭ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ女史の3度目の追悼集会に参加してまいりました。

『アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺3周年 追悼集会』

◆彼女が暗殺されてから、この3年間。多くの政権批判者が暗殺されています。
記憶に新しいところでは、チェチェン人の人道家でロシア国内に拠点を置く人権団体「メモリアル」のチェチェン支部代表、ナターシャ・エステミロワ(7月15日殺害)。

やはり、ロシアの息が掛かったやくざなチェチェン政権に批判的だったNGO団体代表、ザレーマ・サドゥラーエワ(8月10日殺害)。
そして、彼女の夫である活動家、アリク・ジャブライロフ(同じく8月10日殺害)

他にも、日本でもある程度ニュースになった、アレクサンドル・リトビネンコ(毒殺)。……と、枚挙にいとまなし。

◆地元のジャーナリストたちが、ロシア政府のトップと、その「イエスマン」カディロフ率いるグループによる暗殺であったという事実を掴んだ刹那、よくて「脅迫メール」、あるいは“行方不明”の憂き目にあっているわけですが、
ここらへんのとこ、日本はアメリカ以上に「隣国」としてちゃんと報道し、とことん追求し、報道してゆかなければならないのにほっとくのは、たんに「関心がないから」「深追いしたら危険だから」「国家間問題になりかねないから」といった理由などではなく、、、

「報道バリュー」の問題。

「報道バリュー」って、「報道価値」とか訳されることがありますが、読んで字のごとく。
「報道」する「価値」が「ない」と判断したから。

もっとハッキリ言えば、「カネにならないニュース」って意味ですわ。

いつから「ニュース」に
「値段」が付けられたんでしょうかーーーーーーーーーーーー???

◆「ブログ」だとか、「ツイッター」だとか、「SNS」だとかで、誰でも“市民メディア”というものを手にした我々インターネットユーザー。
「大手メディア・スト」でもしないとアカンですか?

な〜んて書いてると、にわか革マルおやじと勘違いされてしまいそうなので、このへんにしときましょか。

◆そんなわけで、自分の国に殺された、我らがジャーナリストの同僚、アンナ・ポリトコフスカヤ……

3年目の合掌



タケシ・トラバート & 丸本武
posted by タケシ・トラバート at 05:12| Comment(0) | 抵抗文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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