2011年04月13日

◆ 信仰・神・天災・エトセトラ ◆

maria magdarene symbl.jpg

  
           『 信仰・神・運命・天災・震災・さだめ 』


一見、重たく大層なタイトルだが、同時にコミカルでもある。

こんな切りだし方は少々突飛に思われるかもしれないが、筆者である「我」にとっては、どうしてもっと早くに触れなかったのだろうと、後悔してもいるのだ。

準無神論社会で成り立つ日本という国にいると、信仰や神について私見を述べる場合、どうしてもキナ臭い話題を持ち出してきたな、といった眼で見られてしまうのが残念でしかたがない。

たとえば、何かの会話で誰かが「神様」というコトバを使った時、なぜか私は「神」に「様」を付けるのは「社長」を「社長様」とコケにしているのと変わらないんだぜ、と口を挟んでしまう。

まあそんなことはどうでもいい。

今回の大震災と原発事故に関して、メディアやジャーナリストが大きくも小さくも報じなかった神や運命について、“ようやく” といった感で書く。


震災後、ほぼ毎日のようにシゴトの合い間に書き連ねた雑文から、その一部をブログにアップしてきた。
ただ感じたことを日記代わりにタタタッと打ち込んできただけであるが・・・。
でも、それら雑文の中の肝心な部分は、毎回省略してきた。

       ◆

いままであらゆる土地で「神を信じるか?」という問いに出くわしてきたが、私自身の答には幾つかのパターンがある。
「もちろん信じているさ」とは答えない。

パターンを幾つか列挙してみよう。
「神を信じるかだって? キミは信じていないのか?」
「信じるもなにも “神” がいなけりゃオレが困るんだ」
「その質問は、神が云っていることを信じるか、っていう意味かい?」etc…

お察しの通り、どの答え方も「神が間違いなく存在」していることを前提としている。

ひと言に「神」といっても漠然とし過ぎているので、少しだけ説明を加えると、世界中のありとあらゆる宗教やトライブが信仰する「神」総てを、私は指している。


これまであまり大声ではいわなかったが、この度は正直に書く。
今回の東日本大震災でさえ、人類はおろか宇宙が誕生するはるか昔から既に決められていた出来事だと筆者個人は解釈している。

小生が10代の頃から世界各地で過ごしてきたことはプロファイルにも記したはずだが、
それから現在に至るまで、戦争や紛争、虐殺や被災の現場にいやというほど立ち合ってきた。
いや、立ち合っただけでない。
実際に自分自身も本当の飢え苦しみ、何度も殺されかけ、内戦や紛争にも巻き込まれ、あまりに多くの友人の死を目の当たりにしてきた。
家族同然だった人々が理不尽に過ぎる死に方で私の人生から消えてしまったこともある。

一番ショックだったのは、2000年の春に筆者のアシスタントをしてくれていた当時19才の美大生が、仕掛けられた爆弾で木っぱ微塵に吹き飛んだ時だった。

彼女の肉片のひとつがおのれの手首にピシャリと貼り付いた時の感触は、いまもコトバにできない。



それ以来、どんなに喜ばしく素晴らしい出来事があっても、どんなに悲惨で胸が張り裂けそうになる出来事に直面しても、すべては “あらかじめ決められていたんだ” と理解するようになった。

これを日本語では「運命論」だとか「宿命論」と表したりする。
ひどい場合は「狂信的」だとか「現実逃れ」と一蹴してお仕舞いだ。
そんな「さだめ論」を引き合いに出してしまうと大変なことになる。

あの『3.11』からまだ間もない頃のある日、少々ヒステリックな女性に「まるで『すべてはスケジュール通りだった』とでも言いたいワケ!?」と非情な眼つきで睨まれてしまったことがある。それは、テレビ等で繰り返される被災地での美談や、あまりの悲惨さを感情論に終始したカタチで垂れ流す報道を私が非難したことがキッカケだった。


ハナシが長くなってしまった。

この辺にしとこう。


ただ、「天災」とは、あくまでも「天からの災い」であって、誰が悪いわけでもない。
もし “誰か” が悪いのならば、われわれ全員か、われわれの中にひそむ悪魔であろう。

決して “神” が悪いのではない。




TAKESHI TRAUBERT MARUMOTO
丸本武

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2011年04月10日

■桜は咲いていた■ 上野 谷中 千駄木 根津 湯島 …… ■


「桜は今年も咲いていた」
 

じつは今日、いよいよ「中東革命」にテーマを戻したかった。
ところが諸煩用あって上野と谷中へ赴いたのだが、桜のその美しさについ見とれてしまい桜を写した写真を一葉か二葉、掲載したい。

 
上野の桜 奥の院 (1024x685).jpg

             桜院


ところで、前々から特に上野公園では「浮かれた花見は自粛」モードに、といった空気が震災後しばらく経ってからアチコチで耳にしたり目にしたりしていたが、年に一度の嗜み。

浮かれ騒ぐのも、また嗜みのひとつなのかもしれない。 


筆者は酒も飲めないし花見はもっぱらひとりかふたりで、というのが好きなのだが、
この数週間ピンとはりつめた日々において、どこかで“澱”を排出しておかないと、本当の春など来ないかもしれない。



ということで、個人的に被災地で苦しんでいる方々の代わりに桜見を存分に楽しんであげても、ある程度ならば構わないだろうと、
ふと今日思った次第。
  



次回はきっとまた震災や原発問題、そして中東革命について書くのだろうなと思いつつ、
撮ったばかりの写真を数葉 ここでアップしてみる。


桜池 上野2011年4月9日 (1024x685).jpg

             桜池

takeshi traubert marumoto
丸本武

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2011年04月05日

☆トラバートとバナナパンケーキ工場☆

『トラバートとバナナパンケーキ工場』



先程くったくたになりながら駅から
25分かけて徒歩で帰還。
 

様々な方々から寄せられる原発関連のニュースやリビアの情報を片っぱしから読み倒さなければいけないのか……と思いつつ、うがい手洗い終え、着替えてさっぱりすると、ふとオリジナル・エコバッグの中を覗けば、そこにはよく熟れたバナナがひとふさ。 

そうそう、帰りしな駅の近くで遅くまで開いているスーパーで買ってきたのだ。

先日、歯医者で神経を抜いて以来、まだ痛みの残る歯や歯茎にとってバナナと豆腐だけが味方なのだ。

パソコンもテレビも新聞もひとまず後回しにし、さっそくバナナパンケーキ作りに取りかかる。
もし私に特技があるとしたら、こいつを作ることなのだ。

バナナパンケーキといっても、そう簡単に誰もが美味しく作れるという訳ではない。
石の上にも30年、“加減”を会得するまでが大変なのだ。

バナナの選定、刻み方、ベースとなる生地作り、ミルクと豆乳のバランス、シナモンの量、かき回し方、フライパンの上でひっくり返すタイミング・・・エトセトラ。 


フライパンの前で疲れを癒しながら(?)ふと東北で、お腹を減らし凍え、不安と疲労で苦しんでいる被災者のことが頭をよぎる。


 よし!
 

祈りと願いを込め、一生懸命ウマいパンケーキを焼くのだ!! 
と、ひとり神に誓い、カカオパウダーを
些湯で溶かし、指で一筆。


さすがにこの「祈りの」バナナパンケーキ、被災地の子供たちがたらふく食べれるように量産して届けることができるほど小生は聖人ではない。
10枚ぐらいは焼いただろうか。その内の2枚はすでに私の腹の中にある。


いつか大量の材料とドでかいホットプレートを手に入れて
現地に飛んでやる、
と無茶な考えが一瞬よぎった。


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2011年02月18日

■発見された17年前の旅行記■

on the road 1994.jpg



《突然だが、私が十代後半の頃に旅の途上で書いた記録の断片を載せてみたくなった。だから載せてしまおう》

以下、古い倉庫から出てきた“旅行記”の一部

いかんせん、17年も前の記録だけあって、なかなか読みづらい。
(この部分しか残っていなかった)
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ようやく螺旋状の細胞に数世紀に渡って受け継がれてきた重たい記憶と決別できたとある肌寒い日
(手切れの賄賂が思ったより安くついたのは喜ぶべきことなのか否かわからないが)僕は鈍行列車がうつろにたなびく無人駅で、ひとり最後になってしまった煙草を吸っていた。

この列車に乗れば君はまだ見ぬふるさとへ帰れるのだよ、と車掌の寝言を聞かされたばかりだった。
仲間外れの冬木立ちみたいに殺風景なプラットフォームに佇むその車掌の白い息は、たぶん僕が吸っていた最後の煙草のけむりよりも白々しかっただろう。
とにかく僕はどんな有難蔵出しの説法で耳たぶを真っ赤にしようと靴底がこの大地を礼賛しようとなんであれかんであれ、いつ動き出すかわからないこの不感症列車にふたたび乗って次の目的地へと移動してゆくつもりだった。

もう自分を探し出してしまった旅を意味もなくのらりくらりと続けるのは苦痛屈辱でしかない。
いまは探し出してしまったものをどこかに捨て去る旅をはじめるためにこの列車が再び惰性で動き出すのを待っているのだ。
我ながらにもなんて贅沢な人生を送っているのだろうかと、込み上げてくる笑いを抑えきれないでいる。
 
 


ふと目が覚めたときには、もう列車はガタガタと唸り声をあげてトランシルヴァニアの平野部を西か東かへ走りだしていた。

ときより窓の外を冬支度を終えた民家が通り過ぎてゆく。 
この地方の冬は長い秋のとある朝に突然やってくる。
この地で生まれ長く住んでいる者でも、その朝がいつやってくるのか予測するは難しいのだ。
 

真夏のあの燦々と輝きわたるゴキゲンな太陽や、生命だけでなく無機質な道路標識でさえもキラキラと黄金色に息づき、うだる路上のかげろうまでもが歓喜するあの真夏の日々……が、気の利かない冗談だったかのように、こごえ極まる冬。
手編みのセーターをいくつ重ねて着てもぬくもることが許されないかのような冬……。
そいつがいまかいまかと旅人たちをどこかでこっそりと待ち構えているのだ。
 

過去に何度か不意打ちの季節目を体験したが、あればっかりは何度体験しても慣れっこになるなんてものではない。
それは強烈なショックを伴うある種の臨死体験に似ているかもしれない。
 

そんなショック状態が続いている間にふと春がやってきて我に返るのだ。


そんな冬がやってくる前に僕はもっと心臓と鼻腔に優しい気候の土地へ逃げおおせたい。
手っ取り早くそうしたいなら、南東に下ってブルガリアを通過し、トルコかギリシャへずらかればいい。
しかし、幾つかの複雑で他言できぬ理由から僕は当分のあいだ、トルコへもギリシャへも入国できないでいた。ならば南西に下って幾つにも分断されたバルカン半島の地中海に面した国のひとつへしけこむしかない。
その先には世界の海が嫉妬するアドリア海があり、さらに先には地中海に浮かぶサルディーニャやシチリアが待っているのだ。
そこまで辿り着けばもうアフリカ大陸は目と鼻の先。
 

問題はそこまでの交通費だ。これまで死にもの狂いになって働いて貯めた稼ぎだけでは、とてもそんな麗しの土地まで辿り着けそうにない(もちろん、まだこの世に“麗しの土地”なるものが存在しているとは本気で信じてなどいなかったが……)。
 

でもいいのだ、行けるところまで行ったらそこでまたどうにかなるように旅はできてるのだ。
 

そこでふと、失うものが何もなかった自由気ままな日々を懐かしく思った。
 
いまじゃあ、どのポケットにもどの世界にも失いたくないものばかりで心に平安が訪れる隙さえない。
捨て去っていいのは先程触れた、探し当ててしまった本当のおのれだけ。
あとは失いたくもなければ、ましてや捨て去るなんてもってのほかである。そんな自分を未練がましい奴だとしみじみと思う。


結局、他の選択肢が浮かび上がってくる前に動きはじめてしまった。移動を開始してしまったのだ。
ルーマニア西南部の町、ティミショアラまで材木を運ぶでっかいトレーラーの助手席に乗せてもらい、そこからセルビア共和国との国境までのわずかな距離をもヒッチハイクし、関所で旅券にハンコ押してもらい、国際貨物列車に貨物として乗っかって、ロマたちがテントを張る小糠雨降る郊外をのっそりのっそり首都ベオグラードへと近づいていった。


*******************************************

(以下、紛失)


ラベル:旅行記
posted by タケシ・トラバート at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月04日

今日はアナログに

024 (1024x685).jpg

久しぶりに「倉庫」を片づけを始めたら、30年以上分ものガラクタや資料や冬眠していた記憶を揺さぶる何某やらがドッサリ、それもそのままの状態で出てきてしまった。
これらのヴァーチャルではない嵩張るモニュメントを如何に整理し、排除し、保管し直し、利用できるものは利用し、再読に価するものは再読し、スッキリできるには、いったいどれくらいの時間と体力と能力と集中力と忍耐力が必要なんだろう。

そんなことを考えていたらふと、煙草が、それも強い煙草が吸いたくなって近所の自販機へ行って来た。

外はこの時期にしては爽やかに暖かく、まだ2月の上旬だというのに、もう春でも来るんではと思わせるような薫りが歩道に漂っていて、いつの間にか「倉庫」のことやエジプト情勢や、その他身近なあらゆることまですっかり忘れてしまい、結局煙草も買わずに「書斎」に戻ってきてしまった。
さて、今宵はカレーと人参サラダを作って食って本でも読んで寝てしまおう。
posted by タケシ・トラバート at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月11日

さよなら森繁久彌せんせ

映画評もやっている小生。ところが日本の俳優をあまりよく知らない。
今、10人、名前を挙げてみろと云われたとしても、はたして怪しい。

でもやってみよう。
川谷拓三
佐田啓二
三國連太郎
勝新太郎
高倉健
市川雷蔵
三船敏郎
渥美清
そして 森繁久彌……

がんばってみたが、これ以上出てこない。
もう少しがんばってみればあと数人は挙げられるかもしれない。

森繁久彌さんが亡くなられた。

ぼくが今、パッと挙げられた上記の俳優の内、在命している方はもはやふたりしかいない。

『森繁久彌』といえば、天下無敵の「社長シリーズ」と、
何といっても、岸恵子さんと共演した方の「雪国」が忘れられない。

そして、もちろん名曲「知床旅情」……

今月20日21日と横浜でコンサートを開く“おときさん”はいまどんな心境でいるんだろうか……
23日には「早稲田フォトジャーナリズム・フェスティバル」
http://www.daysjapan.net/waseda/opening/opening.html(参照)にて、無料コンサートを開く、あの加藤登紀子さん……


雨の朝、急にあの森繁節が懐かしくなった



動画は、あえて“おときさん”
それも38年前の紅白、ちょっと古い映像を探してみた。



でも、やっぱり御本人による歌唱も!!
ジャパニーズ・フラメンコの“最高峰”でもあるのだ!!!
「フラメンコかっぽれ」

posted by タケシ・トラバート at 07:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月20日

眠れぬ夜を そのままに

どうゆうわけか、ここに一冊のノートがある。
そのお陰で幾日か前からあまり眠れない。

やるべきことがたくさんあって、とてもじゃないがそのノートを開く気にはなれない。いや、本当はやるべきことはたくさんあるのだけど、どれも途中で放り投げてしまって、何ひとつ納得がいくところまで辿り着けず、常に呆けた状態にある。

でも、ここにあるノートを開いて、それが何なのか、何が書かれているのか、それとも何も書かれていないのか確認してみる気になかなかなれないでいる。

もちろん自分がそこに何かを書き込んだノートだ。
本当は何が書かれていて、何が書かれていないのかは知っている。

ただいまひとつ不安なのは、もし何も書かれてなかった場合、おそらく私はパニックするだろう。
書かれているけれど、ある意味何も書かれていない。その可能性がとても高そうなのだ。

実は内容も知っている。
苦労して地道に書き続けたのは私だからだ。
でもこのノートを開いた途端、実際には何も書かれていなかったなんてことが絶対にあってはならないのだ。確実なことが判明してない以上、下手に行動に移してはならない。

そして私は眠れないのだ
posted by タケシ・トラバート at 14:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月15日

媒体の轢死1

ここのところ、いわゆる「媒体」の寿命、ということについて考える。


まず、言葉ありき…

ではなかった。。。はず。

人類は音を鳴らしたり、煙を焚いたりしてコミニュケーションを図って、情報を伝え始める。
そして次に、喉仏を駆使して音を出したり、板や岩に模様を描き、情報を共有するようになる。

それから時代は流れ、「鳩」を使う。
ハト、である。ピースである。
人類はようやく、「平和」のシンボルを情報伝達の媒体としたわけだ。

さらに時代が流れに流れ、「吟遊詩人」の出番がくる。
各地のニュースを村から村へ、都市から都市へ、詩を詠み、唄をうたいながら「媒体=メディア」の役割を果たしてゆく。

が、
同時に事実を伝えるべく「媒体」。その「媒体」そのものが「エンターテイメント」の要素を兼ね備えたカタチとなってしまう。

この時点で、情報の伝達というコンセプトが再定義されてしまうワケ。

メディアが正しい情報を伝えようとするにあたり、「娯楽性」が加味されたのは、この時点と言ってもさしつかえないだろう。

ポエトリーリーディングの起源は、同時に「報道」が混乱しはじめる時期と一致する。

20世紀中葉以降、「ポエトリー・リーディング」というものが再び、カウンター文・ムーブメントの一端を担うようになった時、我々は「コトバ」はどれだけ正確に、或いは適当に、「情報伝達」のツールになっているのか再吟味しなければならんな〜〜〜〜

思ったりする。

「画」又は「映像」を用いた情報伝達の歴史は、今度、また書いてみようかと思う。



丸本武とタケシ・トラバート
posted by タケシ・トラバート at 14:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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