2012年05月21日

◇ にほんこくへの旅 ◇


on-na


帰国した、という感は、幸か不幸か毎回の如く、無い。
生まれ育った「国」に帰って来た、というだけでの意味で、私は「帰国した」と書ける。


はたして何処から何処へ「帰って」来たのだろう……


  ◆


ちょうど久し振りに長かった西南アジアから「帰国」し、一週間が経つ。


どうでもいいが、どうゆう訳か、東南アジアを旅するニッポンジンは極めて多いが、
こと「西南アジア」となると、かなり少ない。


  ◆


以前、ここでも幾度か触れた覚えがあるけれど、
「国」という概念、
「外国」という概念、
「国家」という概念、
「故郷」という概念、
そして「帰着」というコンセプト……


(それにしても、ろくでもない空虚でオカト違いな散々たるこの鬱陶しいブンに、このあまりに高慢ちきな「鼻摘み文体……」。どうしてくれよう……。寛大なる読者に謝罪と眠剤を…… ボン・シャンカール)



何某かを書かねばならない時、どうしても「コトバ」が内包する意味と定義に頭を悩ましてしまう。


それは、ここニッポンを取り巻く環境が、「十年ひと昔」から「五年ひと昔」になり、現在に至っては「ひと月ひと昔」になってしまっているように感ずることと無縁ではない。


そしてまた、二十世紀末以降、誰もがほんの数万円で、ときには“日帰り”までが可能になり、
「外国」という単語がたんに「日本国の外にある国」という意味、だけを、臭わしていることが、どうしても気になって仕方がない。

そもそも、ここ “ 日本国 ” も事務的手続きを済ませ “ 出国 ” してしまえば、あたりまえだけれど既にたんなる某 “ 外国 ” でしかない。

もちろん我々ニッポンジンと呼ばれる “ 日本国籍保有者 ” は、
その時点でもう、たんなる“ ガイジン ” でしかない。


さらに屁理屈を付け加えれば、この度もまた、たんに “ 外国 ” から “ 外国 ” に移動した、というだけのことである。


移動の過程において、出入国カードに必要事項を書いたりといったナンセンス?な行為には目をつむるにしても、いまだ「国」から「国」へ移るにあたって、前世紀末とさして変わらぬバカバカしさにニヒルな微笑を隠しきれない。


  ◆


だから常に私は、日本国以外の他の「国」から帰って来たとき、“ 帰国 ” という漠然とし過ぎた単語を用いることに対し、異常なまでの違和感を覚えてしまう。


 “ そのとき拠点としている土地への帰還 ” 、

あるいは、響きに傲慢さが、かなり見え隠れするけれど、

 “ 来日 ” 、 “ 訪日 ” 、


または

 “ 日本という不可思議な国への旅 ” などと書いたりするのです。





  タケシ・トラバート(丸本武)輩

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2011年12月14日

★たまにはインコのお喋りでも★




名前:きい(キー)
年齢:数ヶ月

なかなかのナルシシストぶりを発揮するときもあれば、
このように哲学的問答と漫才を同時におこなったりも、する。

途中、いきなり「編集長!」なんて、とんでもない日本語がでてきたりするのがまたシュール……





タグ:インコ
posted by タケシ・トラバート at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月05日

「どんなに情報技術が進歩しようと、地理的・物理的な“距離感”がなくなってしまうことがない喜びと哀しみともどかしさ」


ethiopian-girl.jpg
写真:丸本武



人権(ヒューマンライツ)問題とその複雑さについて、
われわれ日本人は、理解しているようで、実はほとんど何も理解していない。
というのが、ここ数年の日本のメディアや人々を視ていて感じられる…… などと思うのは、決して私だけではないはずで、多くの活動家や情報伝達者や、表現者は歯痒い思いをしている。


でも、同時にここ数年間の間に、クオリティーもコンセプトもアプローチも素晴らしい記事やドキュメンタリー映画が続々と生み出された。

とりわけ「人権問題」にまつわる優れたリポートや記録映像や写真記事の占める割合はずば抜けて高い。読者や視聴者を取り巻く情報環境も高い。そして、関心だけが著しく低い。

どんなにシリアやパレスティナに住む友人たちと無料でスカイプ・テレビ電話で話し合うとことが出来ても……
どんなにスーダンやソマリアでの悲劇や不条理についてリアルタイムで現地からの報告を得ることが出来ても……

われわれニッポン人は無意識のうちに「物理的・歴史的・文化的・地理的」距離が画面の向こうにあることを思い出す。

思い出すだけでなく、無意識にシャットダウンしてしまう。

「“人権問題”って言われても、疲れ果てた俺たちに……どうしろっていうんだ?」
というのが、99.9%の素直な反応だろう……

筆者に確信はないけれど、メディアに敏感な方々を含めたとしても、
このニッポン列島で【
Human Rights】の問題に真剣に取り組み、多忙な日々のわずかな休息タイムを「人が人として幸せに生きる権利」のために“何か”、自分にも行動可能な“何か”をしている方々が、0.1パーセント以下でないことを願うのみ。

◆来たる
1210日(土)は『世界人権デー』......

別にその日に何かをする必要はない。

◇毎日が人権の日であって、
 毎日がその権利を踏みにじられている日でもある。


 


2011
125日早朝



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2011年11月25日

『ヒト科の生物の寿命と 宇宙という幻視核』



『 ヒト科の生物の寿命と 宇宙という幻視核 』

地球誕生以来、生きとし生けるものたちのボスに君臨してきた歴代の生物がどれくらいいるのか、知らない。
そもそも、なにをもってして「ボス」なのかは、ひとまず横に置いといて、


宇宙の誕生とそのサイズまでをも知ろうとした生物は、ヒト科ホモサピエンス以外、おそらくはいないだろう。


宇宙に対するマクロな研究は、同時に物質の最小単位である原子核や素粒子が織りなす未知なる世界への旅でもあった。もちろん、逆もまたしかり。

はるか紀元前から人類はマクロを知るためにミクロを学び、ミクロ(マイクロ)を学ぶためにマクロな世界に憧れ、時に怖れおののき、時に感銘し、時にたじろいできた、はずだった。
それは同時に、人類にとってミクロ(マイクロ)な世界に接する際の、ある種の礼儀でもあった。


 

マクロ・イメージー2.jpg

太古の人類は、まず、宇宙を見上げ、ありったけの想像力をスパークさせ、そこから旨いダシを摘出し、創作活動の支えにしてきた。

そもそも、宇宙をただ見上げる、という行為は――どうゆう訳か大脳新皮質が異常に発達し過ぎたヒト科の「人類」――にとって否が応でも想像力を、その可能な範囲ぎりぎりにまで広げてしまう、安易で少々危険な行為。


ただし、これは太古の昔を生きたドリーマーたちの場合、である。

宇宙を見上げることや、ミクロな自然界に身を浸すこと以外に、あまりにも多くのエンターテイメントがある。
もとい、インスピレーションの源と錯覚してしまう無数のインフォメーションや、一時的にインスパイアされたかのような気にさせてしまう即物的カルチャーで東西南北―右も左も溢れかえっている。

 ……と、
 なんだかヘリクツでむさ苦しい文章になってきたところで、

 ついでにハナシの趣旨まで見失ってしまった……。

ところで、
ヒト科に属するわれわれ「人類」という種の寿命、について、ふと……考える。


そもそも「自然界」一部であるはずのわれわれ人類が、その母体である「自然界」から戒めや警告や制裁を立て続けに受けてしまう、という構図。それは、霊長類ヒト科ホモサピエンスというわれわれ人類が「自然界」からのけ者に(キックアウト)されてしまっている証拠のような気がしなくもない。

    ◆

天体にきらめく星々をゆっくり堪能する、という機会を定期的に持っているだろうか?


そして夜、漆喰の水平線にぼんやり差し込む天の川の光に、うつつをぬかす、といった自由……地球上生物のみに与えられたゴージャスなひととき……に、ドップリひたることを忘れたりしてはいないだろうか?


人間は、宇宙の外のことや、宇宙が始まる前のこと、そしていずれ消えてゆく宇宙そのものについて、あるいは、この「人類」という生物の寿命や「森羅万象」の終焉について……。
さらには、「無」さえも存在しない世界について想いを馳せたりはしないだろうか?


ついでに記せば、人間の想像力が及ばない世界に想いをはせることなど、無駄で精神衛生上、あまり芳しくない行為だと結論付けてしまったりはしていないだろうか?

人間の想像力に限界などない、と主張する方々が圧倒的なこの世界で、

「いや、限界はちゃんとあるさ」と断言し、

「その限界ぎりぎりのところを彷徨うのが人類に与えられた使命だ」などと付け加え、
「たとえ精神の崩壊と引き換えだろうと、想像力の限界を一瞬でも突き破ることこそ、創造主がわれわれ人間に与えたノルマなんでね」と涼しい顔してキャメルに火を付けてみたいもの......

マクロ・イメージ−1.jpg

 ところで、何の話をしているのか??


                  ***********

 細胞とその原子核のつくりは

  巨大銀河群とブラックホールのつくりに


    よく似ている


 
 Takeshi Traubert &
丸本武

posted by タケシ・トラバート at 04:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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