2012年12月19日

「終末論とDNA」

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ひとが「世界の終り」や「人類の滅亡」などといったカタストロフな予言を愛する理由


まず、大前提がある。

【人間という生き物は、いつか必ず自分にも死が訪れる、という「希望」があるからこそ「生きて」いられる】

これこそが、
「死」そのものが、

ひとが ひととして生きてゆく上でのエネルギーであることはもはや疑う余地などない。


もし、人間から「死」や「終り」といった概念を取り上げてしまったりしたら、その瞬間から人間は生きてゆく活力を失い始める。

いつかこの「生」にも終焉がある、という意識が人間を生かしてるだけであって、もし宇宙にも生にも「終り」などなく、永遠に続いてゆくなんてことになってしまったら、人間はひとり残らず発狂してしまうだろう。

何ごとにも「終り」が来るのを知っているから安心していられる。

または、この苦痛と苦悩どもが絶えることのない世界。そこで生きてゆくには「死」というピリオドが、そう遠くない「明日」にでもやってくる、という「希望」がなければやはり発狂してしまうだろう。
どうゆう訳か、ひとは「死」を遅くしたり早めたりできる数少ない生物(ヒト科生物以外で有名な生物としてレミングがいる)に分類される。


ところで
これを書いているのが2012年12月19日。
「滅亡の日」まで70時間をきっている。


何年も前にハリウッドでは莫大な制作費を掛け、その名も「2012」という映画まで作られ、本当に信じている方々の数、日本との温度差、はるかにケタ違い。

既に断食をはじめているひとや、家や土地を全て売ってしまった方、集団自殺を計画しているグループ……

ここ日本でも数年前は「マヤ暦」「2012年人類滅亡」といったキーワードが書籍や新聞雑誌類で見掛けぬ日はない! ほどだった。
テレビもこぞって面白おかしく取り上げて、空前のブームにもなったが、

 「その日」が近くなるにつれ、
一般市民・視聴者の関心度は反比例。

あれほど騒がれた「2012年人類滅亡」の数日前だというのに、テレビも雑誌も知らん顔。
誰ひとりとして慌てたり恐怖に押しつぶされてるよーな人間は、この界隈(どこ?)ひとりもなし。

 

北米や南欧の国々にくらべると、日本人はとてもとても醒めている。

そもそも2012年12月21日が「終焉の日」であることさえ知らないかのように。どこを調べても誰に訊いても答えは
「そういえば、あったねそんなヨゲン(笑)」
「そこまで正確に分かるなら地震予知なんて朝飯前ネ!」等々。

すぐにハナシをそらすのである。

エンターテイメントとしての「予言・予知」は大いに歓迎するが、マジなのは勘弁して、疲れるから(笑)…… ということだろうか。



個人的な意見だが、「終りの日」はべつに2012年12月21日でなくともよい。

来年でもよいし、あさってでもいい。

ただ、数年以内に「創世記」にも記されているような大洪水で地表は四十日四十夜、水で満たされ、(地球上で最も害のある生き物)人類のいない美しい天体として生まれ変わるだろう。


  私はただ、その美しさを想像したい。





最後に念を押してしまうが、筆者は大真面目に「人類はもって10年、もしくは数年内」と思っている。






   文責:丸本武

posted by タケシ・トラバート at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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