2012年12月02日

「エルサレム」での12月 クリスマス前から新年しばらくフラッシュバック1999〜2000




洞窟




自分に向けて書くように他者へ向けて書く。他者へ向けて書くかのように、自分に向けて書く。そのくりかえし……

あまり、よろしい、とは言えない。


 12月。 いつの間にか。

ところで「12月」という月は、かなりドラマに満ちた月だったと過去をまさぐり、

思い当たる。

良くも悪くも、だ。

ただし、これらは「笑える範囲内」としての「良くも悪くも」である。


かなり個人的なハナシになってしまうけれど、過去に筆者はこの寒いトーキョーの冬から逃れるため(な〜んてことは滅多に最近しませんが)、

何かの理由を付けては「地中海性気候」の土地で――結局はガタガタふるえるハメになるのがオチ――

師走も大晦日も新年も迎えられるようワガママ押し通してきましたが、
そんな気軽に

「冬の数ヶ月間はちょっと消えております」やっていたら、いいかげん干されてしまうので、最近は自粛しております(?)。




    ◆

ひさびさなので、たまには勝手に「世界各地の冬:アレコレ」


やはり忘れられないのは、

「サラエヴォの冬」「シリア砂漠の冬」「リスボン下町での冬」

「冬のクルディスタン」「冬のブダペスト」「ブロンクスの冬」etc.と切りがない。

そしてそれぞれにまつわるエピソードもエンドレス。

なので、

中でも印象深かった「年越し」をひとつ。



  オリーヴ山


(東エルサレムよりさらに東に「そびえる」小高い丘。聖書にも幾度も登場し、丘の頂からはエルサレム旧市街だけでなく新市街までもが一望のもと)。

そう、あの「オリーヴ山(オリーブの丘)」のことである。


それ以前もそれ以後も幾度か滞在していたことがあったイスラエル&パレスティナ……その中でも一番「長居」してしまった1999年〜2000年という期間。

かの地は比較的おだやかだった。ほんのわずかな「平穏期」……

ミレニアム・イヤーの秋(928日)に、アリエール・シャロン(当時リクード党党首:イスラエルの超タカ派政党筆頭株)が土足でイスラム教重要聖地にのりこみ、


「エルサレムはどこもかしこもイスラエルのものだ!」


などとホザいてしまうまで……

    ◆

もとい、オリーヴ山の裾に無数とあるユダヤ人墓地、
静かで、周囲に誰もいない一角……

墓石が古すぎて、ただの長方形ストーンしているひとつを選んで、
その上に身を横たえる……


遠く、

街のほうから聞こえてくるカウントダウンの歓声や、

2000年になったとたんニューイヤー花火がいたる所で上がるのを……ただ墓石の上であおむけになりながら、

何を考えていたのか思っていたのかはとっくに忘れてしまったが、夜空を見ながらしばらくそのままのかっこうで、

ひとり感極まっていた。

「イベント」自体はどれも小さく、グレゴリア暦より「りっぱ」なユダヤ暦なるものをもつエルサレム。西暦でのニューイヤーなどあっけないものだった。


それなのにいまでも「年越し」とくると印象的に思い出されるのは、どうゆうわけか、

「エルサレム」での冬、なのだ。



当時(1999年暮れ)、エルサレム旧市街(東エルサレム)の一角、アルメニア正教区のかたすみにあったホテルに住み込みで働いては絵を描いていた。


1999年のクリスマスシーズンもそのホテル(『エル・マラック』天使たち、という名の小さなホテル)のアラべスクなラウンジで受付席にすわりながら、スケッチブックに異国情緒タップリな絵をサクサク描いてた。

そして、それがまた悪くない値で売れるのだった。


そんなある日、クリスマス・イヴに友人たちや当時のガールフレンドからパーティの誘いがかさなり、2日
間の休みをホテルのマネージャー氏に申し出た。
マネージャー(といっても老婆であるが)お気に入りの模範的東洋人、ということで、2日間の休みはすぐ許可された。

筆者がアチコチで開かれているホームパーティをハシゴし終えてホテルに戻ってきた時に初めて知った、とある「事件」……

★(センテンスがいちいち長くて自分でもヤニなって来るが、しゃーない)

シナイ半島産のハイクオリティーなマリワナで、五感すべてがかなり敏感なまま何千年も前から争いの舞台として「使われて」きた、ある種の哀しい映画セット……

その上にたたずむ「おれ」というピエロ……


ところで、アルメニア正教区を選んだのには、


「おのれの立ち位置(ポジション)」の中立性を表すためでも、

歩いて数分のところに「シオンの丘」があったからという訳でも、

新市街(イスラエル人だらけの西エルサレム)へ行くのにアクセスが楽だからというワケでも、

もちろんない。

ただ、なりゆきで、いつもどおり「おさまった」のだ。


と、ハナシがいつまでたっても前にすすんでいないようなので、プレイバック……

そんな心地酔いメンタルで2日ぶりにホテル『エル・マラック』に戻ると、

相棒のメフメット君が興奮してコトの次第を詳しく


……脳がまだハイビスカス状態のオレに面と向かって……説明してくれるのだ。

「今年は珍しくひとりだけだったけど、ちょうどタケシがオフを取った後、イカれたスウェーデン人のクリスチャンがチェックインしたんだ。そいつが」


 とそこまで言ってから、ラウンジのとある一角で眠ったように横たわる男の方を指差した。

「あいつが自殺する前」と、再び説明に戻るメフメット。
「っていっても、つい2時間ほど前のことなんだけど、オイラも含めて何人かの人間がラウンジで『1999年、クリスマスの夜にエルサレムで自殺すれば、月の裏側で待機している宇宙船がオレを神の王国へと連れてってくれるんだ!』って、あのサイコ野郎がほざいてたの聞いてて……とにかく毎年毎年いつまでたっても、こんなやからが何人も後を絶たないんだ。死ぬならわざわざこのホテルじゃなくて他でやってほしいゼ。それよか今年はキワーメテ忙しいンダ! 年末年始の予約が、もうすでに今夜もビッシリ……」

宇宙船が迎えに来てくれなかったおかげで貴重な休み明け早々、ヘビーな仕事……

それから新年を迎えて数日が過ぎるまでの約一週間、


毎日がわざわざ過剰なまでに、

いちいちドラマティックだった。

(中略:バッサリ!)

拠点をエルサレムよりずっと暖かい地中海に面したテル・アヴィヴに移したのは、2000年という年をただ漠然と受け入れた1月下旬ころのこと。


……ふと、ここまで忍耐し、お付き合い頂いた読者皆さま側、その視点に近い第三者的なサメた目で読み返し、「これ以上、皆さまの貴重なお時間、拝借するには百年早い!」との結論。
 お口直しに

    


動画は「Noa」こと、アキノアム・ニニ。

その後のテル・アヴィヴ時代(については千夜一夜のストーリーが待ち構えているので、ここでは無視)。

たまたまそれ以前、
20世紀末のどこかでNoa(ノア)のアパートメントの近くで地元の友人とフラットシェア生活していたことがあり、たしか当時もすでに成功を収めてた気がするけれど、Noaも無名時代と変わらず気さくにみんなから「ニニ!」と可愛がられていたように記憶する。

ちなみに、イスラエルの国民的歌姫、故オフラ・ハザと同じく、イエメン系ジューイッシュ。

 



     


   
      文責: 丸本武 & タケシ・トラバート 



posted by タケシ・トラバート at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ふと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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