2012年06月02日

またふたたびの「記録」について

A Girl&Calcutta.JPG

仕事であれ趣味であれ、写真を撮ったり何かを録音したりするといった行為そのものが、極めて退屈で疲れると感じる時と、
それなりに楽しいと感じられる時が同時に訪れる時が多い。
あるいは、同時でなくとも、記録を残すことの大切さや楽しさや必要性をひしひしと感じる時と、あまりに虚しく、またバカバカしいと感じる時の、ある種の振り子の両極を、せわしなく行ったり来たりする。
問題なのは、その振り幅が極端にひろく、同時であれ両極を行ったり来たりしている時であれ、中間というものがまったくと言っていいほど、無いことだろうか。


物事を「記録する」とき、たとえば目や耳にダイレクトに届くはずの写真が、どれほど重要なツールなのかと痛感したかと思えば、次の瞬間には説明不可能なある種の喪失感におそわれ、手にしている写真機を投げ捨て、ついでにハダカになって神秘の滝壺におもいっきり飛び込みたくなってしまう。もっと素朴に書けば、ついいまさっきまでせっせと押していたシャッターから指を放し、手元のカメラが何やら邪悪な物体にみえ、ちからいっぱい地面に叩きつけたい衝動に駆られたりする。


その「場面」、「情景」、「ひと」、「その他エトセトラ」を、どうしてわざわざオレはこんなふざけたマシーンで記録し&残そうとしているんだろうか〜、と、ゾッとするときさえ多い。
それがたとえ愛着のあるカメラで、また、純粋に「思い出として」であろうと、なかろうと。


何かを伝えたり証明したりするとき、写真の持つ有効性は否定しない。
いつの間にか写真のハナシになってしまったが、特に筆者のような自称ジャーナリストなどにとって、その職業上、撮影という行為を完全に放棄することは、あまりよろしいことではない。

どうも冒頭から、ただひたすら一般論に徹しているところなどをふと「顧みる」と、自分がどれだけいま睡眠や休息が必要なのか、
ひとときの戦慄……

posted by タケシ・トラバート at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ふと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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