2011年12月05日

「どんなに情報技術が進歩しようと、地理的・物理的な“距離感”がなくなってしまうことがない喜びと哀しみともどかしさ」


ethiopian-girl.jpg
写真:丸本武



人権(ヒューマンライツ)問題とその複雑さについて、
われわれ日本人は、理解しているようで、実はほとんど何も理解していない。
というのが、ここ数年の日本のメディアや人々を視ていて感じられる…… などと思うのは、決して私だけではないはずで、多くの活動家や情報伝達者や、表現者は歯痒い思いをしている。


でも、同時にここ数年間の間に、クオリティーもコンセプトもアプローチも素晴らしい記事やドキュメンタリー映画が続々と生み出された。

とりわけ「人権問題」にまつわる優れたリポートや記録映像や写真記事の占める割合はずば抜けて高い。読者や視聴者を取り巻く情報環境も高い。そして、関心だけが著しく低い。

どんなにシリアやパレスティナに住む友人たちと無料でスカイプ・テレビ電話で話し合うとことが出来ても……
どんなにスーダンやソマリアでの悲劇や不条理についてリアルタイムで現地からの報告を得ることが出来ても……

われわれニッポン人は無意識のうちに「物理的・歴史的・文化的・地理的」距離が画面の向こうにあることを思い出す。

思い出すだけでなく、無意識にシャットダウンしてしまう。

「“人権問題”って言われても、疲れ果てた俺たちに……どうしろっていうんだ?」
というのが、99.9%の素直な反応だろう……

筆者に確信はないけれど、メディアに敏感な方々を含めたとしても、
このニッポン列島で【
Human Rights】の問題に真剣に取り組み、多忙な日々のわずかな休息タイムを「人が人として幸せに生きる権利」のために“何か”、自分にも行動可能な“何か”をしている方々が、0.1パーセント以下でないことを願うのみ。

◆来たる
1210日(土)は『世界人権デー』......

別にその日に何かをする必要はない。

◇毎日が人権の日であって、
 毎日がその権利を踏みにじられている日でもある。


 


2011
125日早朝



posted by タケシ・トラバート at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。