2011年10月07日

「屈託のある微笑」





 「屈託のある微笑」

ここのところ「終電逃し」ばかりの小生。
まるで週末でもないのに……ひとりクラブで踊り明かして来たかのように……まぶしい東陽に目を細め、着古した黒いジャケットの襟をむりやりなおし、通勤者とすれ違ってゆく道ゆき……朝一番のガラガラ電車と酔っぱらいが織りなす早々朝の光景に溶け込む、おのれ……


帰宅しても仕事があるのでバッタリ眠るワケにもゆかず、半時間ごとにブラックのコーヒーを淹れ、喫煙度数はもはやヘビーやチェーンを超え、眼の充血度はマリワナ常用者レベルで、その日の仕事に取り掛かるのだけれど、
どんなに頑張ろうと、既に慢性化してしまった疲労と寝不足のおかげで集中力も忍耐力も想像力も使い古されたモップのよう。


そんな状態でまともに仕事などできやしないのに、それでも仕事らしきものをしなければ明日が無いフリーランサーというカルマ……

今日こそは終電に間に合ってぐっすり眠ってやる、と決め込んでも、おそらくまた終電に間に合わず、始発電車を待ちながら野良犬のように真夜中の大都会をとぼとぼ歩くのだろうか……今日も。



と、そんな個人的な生態観察はよしとして、昨夜は仮眠を少しでもとろうと、数年振りにインターネットカフェなる不可思議な施設で約3
時間過ごしたのだが、世に言う“ネットカフェ難民”はどこにもいなかった。念のためにと何件も回って聞き込みをしてみたのだが、どのインターネットカフェの店員さんに聞いても返事は決まって「ウチにはいませんね〜」。

もうネットカフェ難民など古いのだろうか?


それともインターネットカフェという施設に支払う僅かな金銭も払えなくなり、さらに安く過ごせる「施設」に、元ネットカフェ難民は移行していったのだろうか?

「かれら」はこの不景気をはるかに通り越した経済状況の中、いま、どのような生活をしているのだろう?
と、疑問符をあえて付けてみたが、実は答えを知っている。

しかし、底辺で生きている人々の生活状態を報告する場ではないので、省略。

lebanonnoo.jpg

問題は、「3.11」から数年、もしくは十数年後の若者たちは“アジア”に生きている、という実感を抱きながら、汚染されたこの列島で破綻した日本経済を尻目に、まるで不可触民であるかのような生活を、巨大なスラム街と化したTokyoというコンセプトの中で送らなければならないのではないか?

と、そんな不安が一瞬よぎった。


これが単なる妄想で済めばよいのだが、自然界の長(おさ)は想像以上に手厳しい。

誤解を恐れず書いてしまえば……

われわれヒト科の霊長類が他の生物や自然界、そしてこの地球やこの太陽系に支払うべく莫大なツケは、「無数のいのち」でコト足りるものではないだろう。


そしてそう遠くないある朝、自然界の長がホモサピエンスという生物を裁くとき、裁かれる側であるわれわれは、どう裁かれたのか知らぬまま、地球から姿を消していることだろう。

そして再び己に問うてみる

霊長類ヒト科という種族ひとつがこの地球上から姿を消すことと、

海棲哺乳類ジュゴン科という種族ひとつがこの地球上から姿を消すこと、
そのどちらが深刻な問題なのだろうか……と。
そのどちらが“一大事”なのだろうか……と。

べつにペシミスティックな問いではない。

あえて付け加えるならば、
「なにごとにも順序や順番がある」

そう思わずにはいられない。



2011107



posted by タケシ・トラバート at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ふと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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