2012年12月30日

「こちらでも」と、つなぎぶろぐこうしん

こちらでも、不定期的に(それも、かな〜り不定期的に)、「連載」? しております。


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2012年12月27日

時間の中の時間

歳を喰ってふと気付くと、だんだん美味しくないのがわかる、
じゃなく、
年齢と共に時間の流れが速く感じるのは残念なことだけれど、「感じる」というのはあくまでも錯覚でしかない。

実際に時間の流れは(時間の中に身を置いている以上)確実に加速している。

それは、文字通り時間の流れが加速しているという現実から無意識の内に逃避した人類が「時間の流れが速く感じる」という幻想を生み出してしまった後の副作用のようなもの。


そもそも「感覚」や「感じ方」で時間は速く流れたり遅く流れたりするものではない。

もう少しシンプルに表現すれば、時間というコンセプトに絶対というものなどありはしない。

まず時間そのものからして科学的に極めて不安定、不規則な存在だということを改めて思い出さないとならない。


「時間」が存在したりしなかったりするという現象を理解しないかぎり、人類はいつまでたっても宇宙の「中」で時間に束縛され、右往左往しながら生き、そして死んでゆく。


なかには「時間」というもの、人類が「地球上で」生活してゆく上での便宜的な概念である、と勘違いしてしまっている方々、かなり多いのではないかと思う。

決して理屈めいたハナシをここでしているのではなく、いたって当たり前のハナシなのだが……、

だから何だというのだ、
と思われてしまえばこのブンはここで終ってしまう。

  いや、終ってしまっていいのかもしれない。

ただ、結論がないので、もう一行。


 「時間は確実に存在し、歳と共に確実に科学的に速まってゆく」
     で、よいだろうか。



             文責:丸本武

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2012年12月19日

「終末論とDNA」

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ひとが「世界の終り」や「人類の滅亡」などといったカタストロフな予言を愛する理由


まず、大前提がある。

【人間という生き物は、いつか必ず自分にも死が訪れる、という「希望」があるからこそ「生きて」いられる】

これこそが、
「死」そのものが、

ひとが ひととして生きてゆく上でのエネルギーであることはもはや疑う余地などない。


もし、人間から「死」や「終り」といった概念を取り上げてしまったりしたら、その瞬間から人間は生きてゆく活力を失い始める。

いつかこの「生」にも終焉がある、という意識が人間を生かしてるだけであって、もし宇宙にも生にも「終り」などなく、永遠に続いてゆくなんてことになってしまったら、人間はひとり残らず発狂してしまうだろう。

何ごとにも「終り」が来るのを知っているから安心していられる。

または、この苦痛と苦悩どもが絶えることのない世界。そこで生きてゆくには「死」というピリオドが、そう遠くない「明日」にでもやってくる、という「希望」がなければやはり発狂してしまうだろう。
どうゆう訳か、ひとは「死」を遅くしたり早めたりできる数少ない生物(ヒト科生物以外で有名な生物としてレミングがいる)に分類される。


ところで
これを書いているのが2012年12月19日。
「滅亡の日」まで70時間をきっている。


何年も前にハリウッドでは莫大な制作費を掛け、その名も「2012」という映画まで作られ、本当に信じている方々の数、日本との温度差、はるかにケタ違い。

既に断食をはじめているひとや、家や土地を全て売ってしまった方、集団自殺を計画しているグループ……

ここ日本でも数年前は「マヤ暦」「2012年人類滅亡」といったキーワードが書籍や新聞雑誌類で見掛けぬ日はない! ほどだった。
テレビもこぞって面白おかしく取り上げて、空前のブームにもなったが、

 「その日」が近くなるにつれ、
一般市民・視聴者の関心度は反比例。

あれほど騒がれた「2012年人類滅亡」の数日前だというのに、テレビも雑誌も知らん顔。
誰ひとりとして慌てたり恐怖に押しつぶされてるよーな人間は、この界隈(どこ?)ひとりもなし。

 

北米や南欧の国々にくらべると、日本人はとてもとても醒めている。

そもそも2012年12月21日が「終焉の日」であることさえ知らないかのように。どこを調べても誰に訊いても答えは
「そういえば、あったねそんなヨゲン(笑)」
「そこまで正確に分かるなら地震予知なんて朝飯前ネ!」等々。

すぐにハナシをそらすのである。

エンターテイメントとしての「予言・予知」は大いに歓迎するが、マジなのは勘弁して、疲れるから(笑)…… ということだろうか。



個人的な意見だが、「終りの日」はべつに2012年12月21日でなくともよい。

来年でもよいし、あさってでもいい。

ただ、数年以内に「創世記」にも記されているような大洪水で地表は四十日四十夜、水で満たされ、(地球上で最も害のある生き物)人類のいない美しい天体として生まれ変わるだろう。


  私はただ、その美しさを想像したい。





最後に念を押してしまうが、筆者は大真面目に「人類はもって10年、もしくは数年内」と思っている。






   文責:丸本武

posted by タケシ・トラバート at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月09日

霊長類ヒト科 生物


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ここのところ「終電逃し」ばかりの小生。週末でもないのに……ひとりディスコ(クラブでは決してない)で踊り明かして来たかのよう……
まぶしい東陽に目を細め、着古した黒いジャケットの襟をムリヤリなおし、
通勤者とすれ違ってゆく道ゆき……

朝一番のガラガラ電車と酔っぱらいが織りなす早々朝の光景に溶け込む、おのれ……

帰宅しても仕事があるのでバッタリ眠るワケにもゆかず、半時間ごとにブラックのコーヒーを淹れ、喫煙度数はもはやヘビーやチェーンを超え、眼の充血度はマリワナ常用者レベルで、その日の仕事に取り掛かるのだけれど、
どんなに頑張ろうと、既に慢性化してしまった疲労と寝不足のおかげで集中力も忍耐力も想像力も使い古されたモップのよう
。いや、モップそのもの。

そんな状態でまともに仕事などできやしないのに、それでも仕事らしきものをしなければ明日が無いフリーランサーというカルマ……
(世界ひろしと言えども、こんなカルマが存在するのは「日本国」を置いて他にない !? 笑 )

今日こそは終電に間に合ってぐっすり眠ってやる、と決め込んでも、おそらくまた終電に間に合わず、始発電車を待ちながら野良犬のように真夜中の大都会をとぼとぼ歩くのだろうか……(「ならばアクセスゴキゲンな場所に住め!」)。

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 と、


そんな個人的な生態観察はよしとして、昨夜は仮眠を少しでもとろうと、数年ぶりにインターネットカフェなる不可思議な施設で約3時間過ごしたのだが、世に言う “ネットカフェ難民” はどこにもいないのである。

念のためにと何件も回って聞き込みをしてみたのだが、どのインターネットカフェの店員さんに聞いても返事は決まって
 「ウチにはいませんね〜」

もうネットカフェ難民など古いのだろうか? 

それともインターネットカフェという施設に支払う僅かな金銭も払えなくなり、さらに安く過ごせる「施設」に、元ネットカフェ難民は移行していったのだろうか?

「かれら」(ここでの「かれら」とは便宜的に年収50万円以下の「健常者」を指す)は、
この「世界」の、恒常化した どん底街道 まっしぐら 経済状況の中、いま、どのような生活をしているのだろう?

と、疑問符をあえて付けてみたが、実は答えを知っている。

しかし、底辺で生きている人々の生活状態を報告する場ではないので、省略。

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問題は、「3.11」から数年、もしくは十数年後の若者たちは “アジア” に生きている、という実感を抱きながら、汚染されたこの列島で破綻した日本経済を尻目に、まるで不可触民であるかのような生活を、巨大なスラム街と化したTokyoというコンセプトの中で、送らなければならないのではないか?

と、そんな妄想が一瞬よぎった。

これが単なる妄想で済めばよいのだが、

自然界の長(おさ)は想像以上に手厳しい。


誤解を恐れず書いてしまえば……

われわれヒト科の霊長類が他の生物や自然界、そしてこの地球やこの太陽系に支払うべく莫大なツケは、「無数のいのち」でコト足りるものではないだろう。

そしてそう遠くないある朝、
自然界の長がホモサピエンスという生物を裁くとき、

裁かれる側であるわれわれは、どう裁かれたのか知らぬまま、地球から姿を消していることだろう。


そして再び己に問うてみる

霊長類ヒト科という種族ひとつがこの地球上から姿を消すことと、

海棲哺乳類ジュゴン科という種族ひとつがこの地球上から姿を消すこと、

そのどちらが深刻な問題なのだろうか……と。

そのどちらが地球にとって “一大事” なのだろうか……と。


べつにペシミスティックな問いではない。比較自体がナンセンス。
あえて付け加えるならば、

  「なにごとにも順序や順番がある」


そう思わずにはいられない。




                          
文責:丸本武
posted by タケシ・トラバート at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月02日

「エルサレム」での12月 クリスマス前から新年しばらくフラッシュバック1999〜2000




洞窟




自分に向けて書くように他者へ向けて書く。他者へ向けて書くかのように、自分に向けて書く。そのくりかえし……

あまり、よろしい、とは言えない。


 12月。 いつの間にか。

ところで「12月」という月は、かなりドラマに満ちた月だったと過去をまさぐり、

思い当たる。

良くも悪くも、だ。

ただし、これらは「笑える範囲内」としての「良くも悪くも」である。


かなり個人的なハナシになってしまうけれど、過去に筆者はこの寒いトーキョーの冬から逃れるため(な〜んてことは滅多に最近しませんが)、

何かの理由を付けては「地中海性気候」の土地で――結局はガタガタふるえるハメになるのがオチ――

師走も大晦日も新年も迎えられるようワガママ押し通してきましたが、
そんな気軽に

「冬の数ヶ月間はちょっと消えております」やっていたら、いいかげん干されてしまうので、最近は自粛しております(?)。




    ◆

ひさびさなので、たまには勝手に「世界各地の冬:アレコレ」


やはり忘れられないのは、

「サラエヴォの冬」「シリア砂漠の冬」「リスボン下町での冬」

「冬のクルディスタン」「冬のブダペスト」「ブロンクスの冬」etc.と切りがない。

そしてそれぞれにまつわるエピソードもエンドレス。

なので、

中でも印象深かった「年越し」をひとつ。



  オリーヴ山


(東エルサレムよりさらに東に「そびえる」小高い丘。聖書にも幾度も登場し、丘の頂からはエルサレム旧市街だけでなく新市街までもが一望のもと)。

そう、あの「オリーヴ山(オリーブの丘)」のことである。


それ以前もそれ以後も幾度か滞在していたことがあったイスラエル&パレスティナ……その中でも一番「長居」してしまった1999年〜2000年という期間。

かの地は比較的おだやかだった。ほんのわずかな「平穏期」……

ミレニアム・イヤーの秋(928日)に、アリエール・シャロン(当時リクード党党首:イスラエルの超タカ派政党筆頭株)が土足でイスラム教重要聖地にのりこみ、


「エルサレムはどこもかしこもイスラエルのものだ!」


などとホザいてしまうまで……

    ◆

もとい、オリーヴ山の裾に無数とあるユダヤ人墓地、
静かで、周囲に誰もいない一角……

墓石が古すぎて、ただの長方形ストーンしているひとつを選んで、
その上に身を横たえる……


遠く、

街のほうから聞こえてくるカウントダウンの歓声や、

2000年になったとたんニューイヤー花火がいたる所で上がるのを……ただ墓石の上であおむけになりながら、

何を考えていたのか思っていたのかはとっくに忘れてしまったが、夜空を見ながらしばらくそのままのかっこうで、

ひとり感極まっていた。

「イベント」自体はどれも小さく、グレゴリア暦より「りっぱ」なユダヤ暦なるものをもつエルサレム。西暦でのニューイヤーなどあっけないものだった。


それなのにいまでも「年越し」とくると印象的に思い出されるのは、どうゆうわけか、

「エルサレム」での冬、なのだ。



当時(1999年暮れ)、エルサレム旧市街(東エルサレム)の一角、アルメニア正教区のかたすみにあったホテルに住み込みで働いては絵を描いていた。


1999年のクリスマスシーズンもそのホテル(『エル・マラック』天使たち、という名の小さなホテル)のアラべスクなラウンジで受付席にすわりながら、スケッチブックに異国情緒タップリな絵をサクサク描いてた。

そして、それがまた悪くない値で売れるのだった。


そんなある日、クリスマス・イヴに友人たちや当時のガールフレンドからパーティの誘いがかさなり、2日
間の休みをホテルのマネージャー氏に申し出た。
マネージャー(といっても老婆であるが)お気に入りの模範的東洋人、ということで、2日間の休みはすぐ許可された。

筆者がアチコチで開かれているホームパーティをハシゴし終えてホテルに戻ってきた時に初めて知った、とある「事件」……

★(センテンスがいちいち長くて自分でもヤニなって来るが、しゃーない)

シナイ半島産のハイクオリティーなマリワナで、五感すべてがかなり敏感なまま何千年も前から争いの舞台として「使われて」きた、ある種の哀しい映画セット……

その上にたたずむ「おれ」というピエロ……


ところで、アルメニア正教区を選んだのには、


「おのれの立ち位置(ポジション)」の中立性を表すためでも、

歩いて数分のところに「シオンの丘」があったからという訳でも、

新市街(イスラエル人だらけの西エルサレム)へ行くのにアクセスが楽だからというワケでも、

もちろんない。

ただ、なりゆきで、いつもどおり「おさまった」のだ。


と、ハナシがいつまでたっても前にすすんでいないようなので、プレイバック……

そんな心地酔いメンタルで2日ぶりにホテル『エル・マラック』に戻ると、

相棒のメフメット君が興奮してコトの次第を詳しく


……脳がまだハイビスカス状態のオレに面と向かって……説明してくれるのだ。

「今年は珍しくひとりだけだったけど、ちょうどタケシがオフを取った後、イカれたスウェーデン人のクリスチャンがチェックインしたんだ。そいつが」


 とそこまで言ってから、ラウンジのとある一角で眠ったように横たわる男の方を指差した。

「あいつが自殺する前」と、再び説明に戻るメフメット。
「っていっても、つい2時間ほど前のことなんだけど、オイラも含めて何人かの人間がラウンジで『1999年、クリスマスの夜にエルサレムで自殺すれば、月の裏側で待機している宇宙船がオレを神の王国へと連れてってくれるんだ!』って、あのサイコ野郎がほざいてたの聞いてて……とにかく毎年毎年いつまでたっても、こんなやからが何人も後を絶たないんだ。死ぬならわざわざこのホテルじゃなくて他でやってほしいゼ。それよか今年はキワーメテ忙しいンダ! 年末年始の予約が、もうすでに今夜もビッシリ……」

宇宙船が迎えに来てくれなかったおかげで貴重な休み明け早々、ヘビーな仕事……

それから新年を迎えて数日が過ぎるまでの約一週間、


毎日がわざわざ過剰なまでに、

いちいちドラマティックだった。

(中略:バッサリ!)

拠点をエルサレムよりずっと暖かい地中海に面したテル・アヴィヴに移したのは、2000年という年をただ漠然と受け入れた1月下旬ころのこと。


……ふと、ここまで忍耐し、お付き合い頂いた読者皆さま側、その視点に近い第三者的なサメた目で読み返し、「これ以上、皆さまの貴重なお時間、拝借するには百年早い!」との結論。
 お口直しに

    


動画は「Noa」こと、アキノアム・ニニ。

その後のテル・アヴィヴ時代(については千夜一夜のストーリーが待ち構えているので、ここでは無視)。

たまたまそれ以前、
20世紀末のどこかでNoa(ノア)のアパートメントの近くで地元の友人とフラットシェア生活していたことがあり、たしか当時もすでに成功を収めてた気がするけれど、Noaも無名時代と変わらず気さくにみんなから「ニニ!」と可愛がられていたように記憶する。

ちなみに、イスラエルの国民的歌姫、故オフラ・ハザと同じく、イエメン系ジューイッシュ。

 



     


   
      文責: 丸本武 & タケシ・トラバート 



posted by タケシ・トラバート at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ふと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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