2011年08月28日

更新【告知:2011年9月9日(金)★ 伝説のポエトリー・イベント復活】


『ポエトリー・カクテル 2011』


*** 世の中が狂い始めた時、
新しいコトバを持った吟遊詩人たちが目を覚ます ***


【告知:201199日(金)★
伝説のポエトリー・イベント復活】


―― 911から10年、3.11から半年、レクイエムを込めたミラクルな一夜 ――

  あの「IPONIKA JAPONIKA POETIKA」から3

  さらに「Poetry Gungsters」「Poetry Planckstars」から2

  そして今年、新たなメンバーを迎え


  ギャラリー・セット「Poetry Cocktail」として、ひそかに復活。

***************************************


ぜひ99日(金)は、今年新しく再始動した「ポエトリー・カクテル 2011」に遊びに来て下さい。

会場:

外苑前のTAMBOURINE GALLERY(タンバリン・ギャラリー)
http://tambourin-gallery.com/tg/information/


その存在自体が伝説として語り継がれて十数年。言葉の錬金術師たちが長い沈黙とタブーをやぶって再び謎のベールを脱ぐ、

    幻の一夜……


あのポエトリカン・ジプシーたちが、誰もが夢みるボヘミアン・ワールドから“緊急来日!!”。
この一夜のため、密かに書き下ろされた新作を、いま東京で最もヒップなアート・スペース『タンバリン・ギャラリー』にてプレミア公開。


★これまで生でポエトリー・リーディングを体験したことのない方々もぜひ!!


 
 出演者

 
Dr . A . SEVEN ドクター・A・セブン

 http://www.stickam.jp/video/178580557
 http://www.youtube.com/watch?v=WCA7EIoMiK0

 元祖サイケデリック・ミュージシャン。あまたの謎に包まれし最後の幻覚詩人。

その魔術的とも呼ばれるビート直伝のポエトリー・パフォーマンスは、つねに国内外の抵抗文化人たちに強烈な影響を与え続けている。
時代のはるか先を歩き続けながらも、次の世代へ、その次の世代へとカウンター・スピリットを伝えてきた奇跡の語り部。
存在そのものが摩訶不思議な長編詩であり、存在そのものが前衛アート。

同時にまた、これまで幾つもの伝説的祭りをコーディネートしてきた、とにかく“伝説的”という言葉が最もよく似合うアンダーグラウンド・カルチャーの重鎮。


  ROBERT  HARRIS ロバート・ハリス
 http://robertharris.jugem.jp/
 日本で最もクールなラジオ
DJ、詩人、アウトロー作家。

長い旅の果てにバリ島やシドニーで型破りなサロンを作り、無名の旅人たちからも、世界中のセレブからも、ギャングスターやイカサマ師たちからも愛されるビューティフル・ダンディ。
多くの著書があり、その波乱に満ちた人生から紡ぎ出されコトバの数々は、読者をどこまでもボヘミアン・ワールドへといざなって止まない、生来のストーリー・テラー。
そして、世界屈指のギャンブラー。

代表作『エグザイルス』『ワイルドサイドを歩け』『地図の無い国から』『人生の100のリスト』『アフォリズム:525の格言集』他。


 
REINA  BLUEMOON レイナ・ブルームーン

http://officeblue.exblog.jp/
日本屈指の“合法的産業スパイ”、美貌のサーファー詩人であり幻視の世界を切り取る写真家。

幾つもの外国語を解読し、あまたの暗号を解き、カメラを懐にしのばせ、人々を煙にまく神出鬼没の名トランスレーター(翻訳者)。
スパイスとポイズンをピリッと効かせた吟遊の詠みびと。

コトバへの尋常ならざる愛情と、畏敬の念をもって世界と対峙し、表現者たちを一瞬にしてとりこにしてしまう、稀代のミューズ。
……その月光に伸びる長い影が、ふとささやくとき、聞き手はすでにもう、この謎めいたボヘミアン・エンジェルが紡ぎ出す麗しのコトバたちの迷宮で……
ステキな迷子になっている。


 
TAKESHI  TRAUBERT タケシ・トラバート
http://www.bohemian.jp/works/traubert/index.html

アーティスト、国際難民ジャーナリスト。
 
丸本武

“長期丸腰潜伏取材”を二年に一度行うため、誰ともコンタクトを取れないときがある。
 詩集・画集・著書も一切なし(予定もなし)。


 ◆ YUJI  HOSHI ユウジ・ホシ
今回の会場となる「タンバリン・ギャラリー」創設者のひとり、故永井宏氏のフォロワー達から構成される【Biweekly Poet】から、緊急参加の自然派詩人。星裕二

なにも飾らず、なにが起ころうと冷静沈着、どこまでも自然体で、まるで神秘の森の中へ誘い込まれるような詩を詠む「日本のジャック・ロンドン」。


  
イベント情報


 
日時:201199日(金)夜

 
会場:タンバリン・ギャラリーhttp://tambourin-gallery.com/

 アクセス:
http://tambourin-gallery.com/tg/access/1.html

  開場:
1900
  
開演:1930〜(終演2100予定 延長あり)

  
☆入場料:1,500円(ドリンク付き&オリジナル・ポストカード)


◇これまで「ポエトリー・リーディング」を生で聴く機会のなかった方、
日本のポエトリー・カルチャーに大きな影響を与えてきたゲストをお迎えしてのイベントです。

 
会場でお会いできるのを楽しみにしています!!
                          

                                                                                                                                                                                                       

POETRY COCKTAIL 2011



 主催:Olove Press International. & Poetry Junkies


 後援:Tambourine Gallery



(宴責)丸本武
 Takeshi Traubert Marumoto


  

posted by タケシ・トラバート at 07:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 告知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月21日

ちょっとしたお誘い

【変更事項】先日下記の通り告知させて頂きましたが、2点だけ訂正があります。

◆まず、参加費(入場料)ですが、諸般の都合ありまして
(前)¥1,000 ➔(変更)¥1,500

◆そして、開演時間が少し早くなります
(前)20:00スタート ➔(変更)19:30スタート

以上です。詳細変更、ご確認、ご理解、よろしくお願い致します。
(また変更がありましたら随時、更新させて頂きます)
=====================================

いきなりですが、ひさしぶりにポエトリー・リーディングのイベントをささやかに開催させて頂くことになりました。




 告知です。

関東にお住まいの方、
ぜひ
99日(金)は、今年新しく再始動した「ポエトリー・カクテル 2011」に遊びに来て下さい。



詳しい告知はまた追って致しますが、99日の夜8時に、外苑前のTAMBOURINE GALLERY(タンバリン・ギャラリー)へ!!



poetryg.jpg


今回のセット、出演者は4名。



Dr . A . SEVEN
(伝説のサイケデリック・シンガーで、詩人で、これまで幾つもの伝説的祭りをコーディネートしてきた、とにかく“伝説的”という言葉が最もよく似合うアンダーグラウンド・カルチャーの重鎮、ドクター・A・セブン)

ROBERT  HARRIS
(日本で最もクールなラジオDJ、また多くの著書があり、その波乱に富んだ人生から紡ぎ出されコトバの数々は、読者をどこまでもボヘミアン・ワールドへといざなって止まない生来のストーリー・テラー、ロバート・ハリス)

REINA  BLUEMOON
(様々な極秘資料を目に通すことができ、さらにそれらを翻訳する権限を持つ日本でも数少ない名トランスレーター。それだけでなく、プロ顔負け、奇跡のような一瞬を切り取るフォトグラファーであり、また稀代の女流歌人でもあり、無数の顔を持つポエトリカン・エンジェル、レイナ・ブルームーン)

TAKESHI  TRAUBERT
(タケシ・トラバート、こと、丸本武。小生です)



 
以上、出演者4名の肩書き書きはよしとして、



会場:タンバリン・ギャラリー

アクセス:http://tambourin-gallery.com/tg/access/1.html

開場:1900

開演:2000〜(終演2100予定)

入場料:1,000円(軽いドリンク付き&オリジナル・ポストカード)




◇これまで「ポエトリー・リーディング」を生で聴く機会のなかった方、日本のポエトリー・カルチャーに大きな影響を与えてきたゲストをお迎えしてのイベントです。良い機会だと思ってぜひ会場へ足を運んでみてください。





(宴責)丸本武
    takeshi traubert marumoto

posted by タケシ・トラバート at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 告知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月15日

そしてビート・ジェネレーションとカウンターカルチャーに関する「おぼろげな白書」と、解き放たれたコトバたちと詩神たちのチャント。「ポエトリー・リーディング」に関する幾つかの「覚書」(最後まで読むのがつらくなるほど長いけれども)




注釈:この長文はかれこれ数年前にどこからか依頼があって書いたものだったような気がするけれど、誰から依頼があったのか、どんな組織から頼まれたのか、忘れてしまった。長ったらしいが、最後までお付き合いして頂ければ感謝。 by Takeshi Traubert

 

―――その小史と簡単な覚書―――



そしてビート・ジェネレーションとカウンターカルチャーに関する「おぼろげな白書」




ポエトリー・リーディング」とは、いったいどんなものなのか知らない方にとって、まず、その歴史を簡単に振り返ってみることは理解の大きな助けになるだろう。

「詩の朗読」と言ってしまえばそれまでだが、



古今東西、“詩”を“朗読”するという行為をすべて「ポエトリー・リーディング」と捉えてしまうと、とんでもないことになってしまう。

    ◆

かつて、“詩”を“朗読”する詩人といえば、


もっぱら王様や貴族を愉しませると同時に相談役として使え、



豪奢な住居を与えられ、経済的安定を保障された一種の国家公務員のような存在を指した。

ギリシャ、ローマ、ペルシャなどといった帝国では詩人の役割は現在では想像もつかぬほど重要であったことはご存じだと思う。



ときにアドバイザーとなり、ときに情報伝達者となり、ときにカウンセラーといった役目も果たした。

例えるならば、大統領補佐官と広報担当者と第一秘書と専属精神科医をすべて兼任する重要人物である。


他の宮廷楽士や宮廷画家などとは一線を画す存在だ。
それは日本の中世に於いても同じことが言えるだろう。




そういった意味で、村から村へ、町から町へと放浪を繰り返しながら、


各地でストーリーテリングをしていた「吟遊詩人」のほうが、現在における「詩人」という定義に近いかもしれない。

しかし、その歴史はあまりに長い。




「詩の朗読」というものを広義な意味で捉えるならば、その起源は人類の誕生と時を同じくする、と言っても過言ではないかもしれない。



文字が発明される以前、人はもっぱら言葉や音で意思の疎通をはかっていた。



遠くの土地を旅してきた商人や巡礼者たちは旅の途中で遭遇した出来事やエピソードをいわゆる“詩”というカタチを取って(ときには打楽器や弦楽器が奏でる“音”を伴い)故郷の者たちに抑揚をつけて語って聞かせた。

吟遊詩人の原型である。




今でも識字率の低い土地では口頭伝承で歴史や逸話、そして伝説を語って聞かせるが、その役割を担うのはたいてい吟遊詩人である。


単に語るのではなく、うまく韻を踏んだりアクセントを凝らして決して聞くものが飽きないように“語る”のである。

それは日本の浪曲や俳句、そして歌会に多少なりとも通じるところがある。


また、琵琶法師なども典型的な吟遊詩人として捉える事ができるだろう。

     ◆

しかし、近代に於いて我々が一般に「ポエトリー・リーディング」、と呼ぶものは、
それら伝統的なものとも自然発生的な吟遊詩人たちが残した文化とも異なる。





こんにち我々が認識する「ポエトリー・リーディング」の原点と呼べるべきエポックメイキングな地点をどこに見出すかについては、諸説入り乱れ、確定することは難しい。



けれども、私はあえて19世紀末のフランスと大戦後のビート・ムーブメントに的を絞りたい。


特に「ビート・ムーブメント」にだ。

なぜなら、いま我々が当たり前のように享受している文化や思想に多大な影響力を与え続け、そのムーブメントは、来るべき新しい文化へと率先して導いてゆく不断の原動力であり続ける「ハプニング」だったからだ。




“ムーブメント”というと一過性の運動と捉えられがちだが、1950年代にビート世代が無意識に行った「革命」の精神は、これからもずっと衰えることなく受け継がれてゆくものだと信じている。



       ◆

まず「詩の朗読」近代史において最初に公の場で自作詩の朗読をはじめたのが、フランスの「アカデミー・シャルル・クロ賞」で有名な鬼才、シャルル・クロ。



1869年頃から詩人として革新的な作品を、世紀末パリのサロンで朗読しはじめたことが、後の欧米における最初のポエトリー・リーディングであったことが確認されている。



20世紀に入り、現代音楽やジャズの演奏をバックに自作の詩を読んだケネス・レクスロスやサーンドバーグといった巨人たちは、このシャルル・クロの試みを近代史における最初のポエトリー・リーディングと位置付け、ある種のお墨付きと、敬愛の念を込め、ことあるごとに引き合いに出してきた。



しかし、19世紀末を生きたシャルル・クロ……
フランス文芸サロンのデカダン詩人でもあり、エジソンより一足先に蓄音器理論を論文化し、同世代に活躍した多くの詩や文学者、そして化学者や音楽家に多大な影響を及ぼしながらも、1888年、貧しさと孤独の中でまともな詩集さえ出版されることなく亡くなってしまう。




その後、幾人かのシンボリックな詩人を例外として「ポエトリー・リーディング」は表舞台から影を潜め、あまたに存在する表現形態の中で絵画や音楽のずっと後ろの方で、その存在感が薄くなっていってしまう。



       ◆

しかし、1940年代に入り、ジャズの一形態であるビーバップが登場する。


黒人のスラム街で話されるヒップで韻を踏んだ独特な話し言葉に触発された一部の白人作家たちが「ポエトリー・リーディング」を永い眠りから叩き起こしてしまった。

さらにそれを一気に世界規模のカルチャーへと昇華させたことは、現代史をその根底から覆してしまったといっても過言はない。





その中心人物が、20世紀、最も偉大な作家で詩人であるジャック・ケルアック。


戦後、世界を尻目にアメリカは戦勝国として経済的にも文化的にも裕福な時代をむかえるわけだが、その恩恵にあずかったのは結局ミドルクラスやハイクラスに属する市民。



有色人種や労働者階級の貧しい白人たちにとって、相変わらずの生活苦が改善されたわけではない。


アメリカが世界のコントローラーとして君臨できたのも、鉱山や大企業の工場といった低賃金で働かされていた肉体労働者たちのおかげであったわけだし、世界に誇る軍事産業や自動車産業にしたところで、それを支えていた寡黙な労働者たちの血と汗と涙あってこそ。

そんな見かけ倒しの「アメリカ」に疑問を持ち、社会構造の痛いところを最初に突いたのが、後に「ビート・ジェネレーション」と呼ばれるグループであった。




グループといっても、先に述べたジャック・ケルアックの他、アレン・ギ―ンズバーグやウィリアム・バロウズというほんの数名の作家志望者の集まりである。



彼らは皆、高等教育を受けた中産階級出身者であり、何かしらコンプレックスを秘めたデリケートなニューヨークの若者たちだ。


経済的なゆとりはあったにせよ、漠然と浮かれ騒ぐ「アメリカ」というひとつのコンセプトに苛立ち、依然として既存の文化や風習の延長線上であぐらをかくソサエティーに閉塞感をおぼえ、そのはけ口として酒やドラッグに溺れては悶々とした日々を送っていた。

そこへ現れたのが、幼い頃から「アメリカ」の底辺で人生を謳歌しサバイヴしてゆく術を身につけた路上のヒーロー、奇想天外な言葉の魔術師、ニール・キャサディだった。





その、ずば抜けた行動力と、片っぱしから社会的ルールをぶち壊して涼しい顔しながら、ペテン師のような口調で矢継ぎ早に路上の叡智をふりまき、出来たてホヤホヤのハイウェイ、ルート66へと創作活動に行き詰まっていたケルアックたちを駆り立てた大胆不敵な自然児だ。
彼こそが本当の意味で唯一の「ビート」だったかもしれない。




当時、新たな変革期をむかえていたニューヨークのジャズシーンが、かれらの旅と創作活動を後押ししたことも忘れてはいけない。


ロックンロールが音楽界に揺さぶりをかけるまで、まだ10年はあった。


ニール・キャサディと出逢ったケルアックは、40年代後半から50年代にかけて「本当のアメリカ」を探す旅を繰り返し、大陸のあちらこちらで仲間のギ―ンズバーグやバロウズ、そして無数の即興詩人たちと朝日が昇るまで酒やドラッグをつまみに、来たるべき世界について語り明かしながら、徐々に新しい「コトバ」と、その用い方を習得していった。



そして、ひとつの旅から次の旅へのつかの間の静寂を用い、その疾走感や麗しの体験が冷めやらぬうちに、自分たちが発見した新しいコトバや表現で森羅万象についてのなにがしかを散文や小説、そして詩といったものに変換していった。

     ◆

後にビートの創設者たちが世に放った作品の数々は、小説でありながら限りなく詩的な美しさをたたえている。



詩集でありながら元来の詩とは形式もスタイルもメッセージ性も、この世のものとは思えぬパワーとエモーションとヴィジョンに満ち溢れていたし、いまも色褪せてはいない。

とにかく、メディアや文壇の度肝を抜かすほど革命的なものとなった。



とりわけ小説として出版されたジャック・ケルアックの有名な『路上』や『荒涼天使たち』は、それまで人類が遭遇したことのないようなみずみずしさとイメージの洪水とポエジーが行間にまで刻印され、流れるようなその文体は声に出して詠まれることによって、さらに魂を吹き込まれた。

また、アレン・ギ―ンズバーグの『吠える』や『カディッシュ』といった詩群は、単なる活字による詩として完結することを拒み、当の本人がプリーストの如く高らかに詠みあげることによって、まったく別次元の美しさと警告をはらんだ芸術へと昇華されていった。




そんなビートたちが興したある種の「革命」は、多くの若者たちを覚醒させ、旅へと駆り立て、それまで「文学」という檻の中に閉じ込められていたコトバを自由な世界へと解き放ち、
一部の特権的な人間たちが独占していた文化を、すべての自由な心を持った若者や活動家たちに大きな活路を開かせた。




さらに時を同じくして、音楽の世界ではロックンロールが世界を震撼させ、アートの世界でもビートに触発されたかのような自由自在の表現がメインストリームを旋風し、60年代になると人権活動家や女性解放運動の旗手たちに勇気と活力を与え、反戦運動やフリースピーチ、性革命へとその影響力は計り知れないものとなってゆく。




その頃には既に「ポエトリー・リーディング」という文化はあらゆる世代に浸透し、街頭やカフェ、ライブハウスや教会で当たり前のように行われるようになっていた。


その現象はアメリカだけでなく、またたく間に世界中に飛び火し、日本の詩人たちにもすぐに受け入れられることになる。

ここで、日本に於ける「ポエトリー・リーディング」の現代史について述べる余裕はないが、忘れてはならない重要な一点についてのみ触れてみよう。



       ◆

50年代後半にビートの旗手たちが詩の創作するにあたり、そろって影響を受けた文化のひとつに、日本の俳句と禅思想があったことを忘れてはならない。



ジャック・ケルアックの親友であり、同時にエコロジーの創始者とも言われる詩人、ゲーリー・シュナイダーは、まだビート・ムーブメントがアメリカ本国で火を噴く以前にいち早く京都で禅の修行を行い、俳句の素晴らしさや仏教が内包する世界観をアメリカにいたケルアックたちに紹介し、彼らの詩作活動に多大なる影響を与えた。

現にジャック・ケルアックの最高傑作と呼ばれ高い詩集『メキシコシティ・ブルース』や『ブルース・アンド・ハイクス』(どちらも本人の口から発っせられて初めて魂を持つ詩群)などは日本の俳句や禅の世界観が全編を通して漂っている。



アレン・ギーンズバーグに至っては、インドでヒンドゥー教を本格的に学んだあと、京都に滞在するゲーリー・シュナイダーのもとを訪れ、新たな表現方法を習得する。


その思想は、数年後、アメリカでヒッピーと呼ばれる世代が誕生する強力な原動力にもなった。

当時、日本でかれらビートの旅人たちといち早く接触した詩人たちに、ナナオサカキや諏訪優、そして現在も日本のポエトリー・シーンを引率する白石かずこさんなど、数え切れないほどの自由人、文化人が触発され、感化され、洗礼を受け、60年代から連綿とつづく日本の新しいカウンター・カルチャーの基礎を作り上げたことは、いまさら語る必要もないだろう。




              ◆

最後に、もうひとつだけ重要な点を述べて、この「ポエトリー・リーディング」についての簡単な覚書を終えるにしよう。



日本に於いても、その他の国々においても「ポエトリー・リーディング」というものが活発になる周期というものがある。それは、決まってその国の政策がトンチンカンな道を歩み始めたり、外交上の危機や戦争や紛争に直接的にも間接的にも国家が介入し始めたときであり、また、手の施しようがない不況や経済的危機が訪れたときである。



そんな社会状況が当たり前のように市民生活の中へと浸透し始めると、必ずと言っていいほど声に出すポエトリー・ムーブメントが活発になる。



現に、バブル崩壊後の日本でも、ポエトリー・リーディングの大きなリバイバルがあった。


また昨今の日本政府による他国への軍事介入や政策不振は新たな世代を突き動かしている。
かれらによって「ポエトリー・リーディング」が毎日のようにどこかで、それも細々としたものでなくあらゆる形態をとって大々的に開催されている。それが意味するところは、お察しの通りだろう。




それは、ビート・ムーブメント自体が、そもそも対抗文化のルーツといっても過言ではないことに起因する。



この場合、「対抗文化」という表現は、そのまま直訳され日本語として定着している「カウンター・カルチャー」として捉えて構わない。


「ポエトリー・リーディング」とは、巨大なシステムに対し、中指を突き立てる行為であると同時に、




 平和や協調、

 そして共振や共感を、

 態度で示す行為であるのだから。







(文責)丸本武
Takeshi Traubert Marumoto 

posted by タケシ・トラバート at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ふと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月03日

「これから日本を引率してゆく者たちへ」

なんだか、こんなタイトル付けてしまったけれど、偉そうなことなど書ける立場にいるわけでもないし、たとえ偉そうなことを書ける立場にいたとしても、ありきたりなことしか書かないだろうな、などと意味不明なことにひとり納得しているこんな有様じゃあ、ホントはブログなんて止めてしまえばいいのだけど、どうゆうわけか書こうとしているおのれがよく解らない。


それはともかく、おそらくもう当分書くことなどないだろうかと思い、過去数カ月間にここで書き散らした原発問題について、最後に少しだけ触れておきたい。


まず、現在の菅政権、ずいぶんとアチラコチラから叩かれまくっていて、だんだん傍から見てるほうが可哀想に思えてきてしまう。

もちろん、それには多少の理由があってのことだけれども、十歩譲ったとして、筆者は個人的に彼をヤリ玉に挙げるつもりは毛頭ない。

そもそも、大手メディアがこぞって現政権とその政策に対し、重箱の隅をつつくかのごとくボロクソに書いているのを見ると、ふと胸糞が悪くなる。

それに追い打ちをかけるかのように、これまで大手とは違った角度やスタンスで報道してきたはずの所謂“市民メディア”や“オルタナティヴ・メディア”までが、こぞって「菅直人」という男の事細かな言動にいちいち過剰に反応し、やっこさんを単なるお調子者であるかのように扱い、挙げ足とりに躍起になっている現状を目の当たりにするにつれ、マスもインディーズもつまるところ着地点なるところはおんなじじゃないか、と、ガクリときてしまう。


もっとも、こんなことを書くつもりではなく、「再生可能エネルギー法案」なるものを日本人の誰もが分かり易く、また大賛成したくなるような絵本や紙芝居にでもして、さっさと通しましょう(ギャラさえ良ければ「再生可能エネルギー入門紙芝居」ぐらい私に作らせて欲しいのだけど…)。
と言っても反対派の勢力が手強いだけに、そう簡単にいかない。

(先程初めて知ったのだけど、菅氏、ブログめいたサイトを持ってる・笑➔  http://kanfullblog.kantei.go.jp/ )



「国家」のトップというものは、良くも悪くも独裁的にならざるを得ない時がある。



非常事態においては民主的手段など踏まえず、トップの一存がある程度、許されると筆者は考える。

たとえ民主主義国家であろうが、現最高指揮官の彼氏は誰にも相談などせず、勝手に全原発を閉店させてしまうことぐらい、不可能なことではない。

大体においてエネルギーという漠然としたコンセプトに、あまりに固執し過ぎるようになってしまっては、人類失格。



原発問題について、当たり前のように言われていることは、地震を起こす断層が少しでもある土地と海に面した土地に存在する原子力発電所は、いますぐに止めなきゃならないのは当たり前だが(チェルノブイリでさえ断層がクロスする真上にわざわざ建設され、あの大事故も地震が原因だということが明らかになっているとはいえ)、じゃあ断層のない土地ならOKなのか?
と横槍を入れる輩がいると仮定して、答えると。


原発はいまや地震や津波や操作ミスで大暴れする確率よりも、テロの願ってもない標的として狙われ始めるという脅威の方がずっとデカくなる。

【休憩】
突然、個人的な話になってしまうが、今は亡きソ連が生んだ天才映画監督アンドレイ・タルコフスキーの予言的名作『サクリファイス』を最近よく思い出す。
まだ一度も御覧になったことのない方はぜひ100回くらい観ましょう。


もとい、他にもし付け加えることがあるとすれば、人類の発展(もうこれ以上発展などしなくていいのだけど)にとって、「エネルギー確保」が何を置いても何を犠牲にしても重要であるならば、いまのところ人の住んでいない近隣の惑星に巨大な原発を、好きなだけ幾らでも作ればいいだけのハナシ。

なぜ、こんな幼稚なことをわざわざ書くのかと問われれば、いつの間にか「反原発」やら「脱原発」というコンセプトがファッションでもあるかのように安売りされ、バーゲンで誰もかれもが二束三文で買えてしまい、本来の原子のエネルギーと原発の区別さえつけられない小僧どもや勘違いさんたちがチンドン屋デモでストレス解消しようとしている狂った現代日本の芸の無さに少々疲れたのであります。

まあ、そう答えよう。


201183
文責:丸本武
Takeshi Traubert Marumoto



posted by タケシ・トラバート at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ふと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。