2011年07月21日

ブログか〜


なんだか最近のろくなってきてまして、ブログ等々をアップする機会も忙しくて減ってしまい、失礼してます。

なんて謝る必要なんてさらさらないのが正直なところ……


でも、万が一、毎回読んで下さってる方が、もしやおられるかもしれない。
そんな、まさかなひとへのお詫び。

と書くと、なんだかカッコウがつくくのだけど、
こんな頭の溶けたような人間が書くブログなんか読まないで、他の優れて面白くて興味深いサイトでも読んでた方がよっぽど健全だろうし、無害だろうかと、まあ最近、ちょくちょくと思うようになったのです。

今回はまた詩でも書こうかと思ったのだけど、不評かもよ、っていう風の便りを耳にしたので、てきとうな徒然で。



最近、個人的なハナシになってしまうけど、創作という観念と、同じく創作という漠然とした観念の間に挟まれてしまってる。
ようは、コンセプトとコンセプトによく似た複雑怪奇な概念が交錯し飛び交う中でかろうじて正常でいる、ということか……

とりたててスタックしてしまってるだけ、という訳ではないのだけれど、少々の焦りとプレッシャーとがシンドイ悪循環をときより招いてしまう、ということをのこのこと再発見した。

ギリギリの正常さをかろうじて保っている、というこの偉大なる中途半端さ。



なんだか、文章が小学生以下のレベルになってきたので、今回はこの辺でアスタ・ルエゴということにしましょうか。

あっけな、

それじゃあんまりってことで、たまには「グルメ番組」でもいっときましょ〜☆

   


Yhaman!

posted by タケシ・トラバート at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 散文詩手帖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月18日

ふと…


こんなヘリクツな時代と

散歩などしてるヒマなど

ないのだけれど

誘われたら断れない性格だから しぶしぶと


それはだから 宇宙を前にした人間のように



 


唐草模様のアナタの夢の中に
たとえば
平和という名の大聖堂を
これから数百年かけてイルミネートしてあげよう

そんな甘い夢物語を語って聞かせる野郎は
てきとーにあしらっときゃあいい

それはだから 宇宙を前にした人間のように




 Takeshi Traubert Marumoto
 丸本武

posted by タケシ・トラバート at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 散文詩手帖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月10日

◆中東の民主化とエンターティメント◆


中東の民主化とエンターティメント


「民主化」で何が変わるかといえば、まず物価と市民の経済感覚だろう。生活の糧を稼ぐ、という当たり前の行為に勝ち負けというコンセプトが派生する。

そんなことは専門家に任せてしまおう。

今回は「中東革命」における思想の自由化とエンターティメントの変移、といった角度からこの度の北アフリカ・中東の文化状況について何某を書いてみたい。

            ★

数年前亡くなったパレスティナの偉大な詩人、マフムード・ダルウィーシュは生前、詩の朗読の最後を「わたしはわたしであり、ここにわたしがいる」というフレーズで閉じることが多かった。


それは民主化以前に中東各国で肩苦しい思いをしながら表現活動を行ってきたすべての表現者を代弁するものでもある。

思想的弾圧がとりわけひどかったのは文学と映画の世界だっただろうか。

jumeize st. L 2007.jpg


中東各国とひと言で括ってしまっても、それぞれ個性豊かな文化的・歴史的背景を持ち、娯楽に対する捉え方や抵抗文化というものの定義そのものさえ異なる。
そもそもイスラム教が社会生活のほとんどに影響を与えていたヨルダンやシリアといった国々と、新旧含めアラブ・カルチャーの中心地エジプトを、同じ尺度で測るわけにはいかない。
それでも程度の差こそあれ、中東諸国ではほとんどの指導者や政府が独善的な尺度で民衆の文化に口出し、時には排除してきた。これらのことは遠いここ日本においても時おり聞こえてくる悲しみだ。
 

「思想犯」と聞くと、ここ日本では中国や北朝鮮で平然と行われている思想的弾圧を思い浮かべる方も多いだろう。
もちろんかの地での思想的弾圧はわれわれが一般に知るものより比較にならないほど厳しく、自由を奪われるだけでは済まないケースだって珍しくない。

ところが、書くことによって、話すことによって、表現することによって国家反逆罪に問われる土地は、たとえ独裁国家でなくとも中東地域に多々存在する。
先に挙げたマフムード・ダルウィーシュはアラブ諸国全域で支持され愛されてきたが、その半生には幾度もの投獄や長期に渡る亡命生活が暗い影を落としていた。

 
    
    モハメド・バクリの問題作「ジェニン、ジェニン」


また、同じパレスティナを代表する俳優で、映画製作も手掛けるモハメド・バクリは、2002年にヨルダン川西岸地区にあるジェニンという町でのイスラエル軍による大虐殺をフィルムに収めてしまったがゆえに、起訴され、映画界から消されかけた。

また、エジプト映画で特徴的なのは、かつてチャップリンが試みた手法だ。独自の思想や政府への批判はアクションやユーモアのオブラートでそっと包み、作者の主義主張はサブリミナル的に作品の中に巧みに織り込むのだ。お上から自分の名前や作品がブラックリストに載せられないよう。

しかし、その手の妥協策に我慢ならない作家や映画人たちは多い。

デビュー当初は比喩やペーソスを巧妙に用い、喜劇映画の衣を纏わせ、問題提起してきた作家たちも、変わりなく腐敗しつづける政府にいらだちを覚え、より直接的な反体制的作品をもっぱらアラブ圏外にマーケットを求め売り込みはじめた。
しかし、身の危険を感じながらも必死の思いで制作されたそんな名作の数々を、この日本で接する機会はあまりに少ない。


かれこれ二年半前、2008年東京国際映画祭で来日した『外出禁止令』『ウェイティング』、

そして傑作『ライラの誕生日』で有名なパレスティナの映画監督、ラシード・マシャラーウィ氏にインタヴューした際、
「チュニジアやアルジェリアにも優れた映画作家たちが多くいるが、かれらが制作した作品が発表される機会はほとんどないんだ」とボソッとつぶやいたのが忘れられない。

他にも、『テロリズムとケバブ』で有名なエジプトのシェリーフ・アラファ監督などは、コメディ作品でその名をアラブ圏にとどろかせたけれど、当の本人はもっとポリティカルな作品を作りたいはず。それは彼の映画のそこかしこに見え隠れしていた。

同じエジプトでも、『ヘリオポリスのアパートで』を撮ったムハンマド・ハーン監督は、政府に対しあからさまな批判をとり、なかなか撮りたい映画に取り掛かれないでいる。

また、『タクシーサービス』のレバノン人映画監督エリー・ハリーファもまた、思うように作品が作れず苦悩している。

今後の中東での動静いかんによって、現代アラブ文化の成長が国際舞台で評価されるようになるかならないか、目が離せない。そしてアラブ世界の映画監督だけでなく、作家や詩人たちの活躍の場が広がってゆくことを切に願う。


(文責)丸本武
Takeshi Traubert Marumoto

posted by タケシ・トラバート at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 散文詩手帖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月02日

大赤字覚悟の極めつけ豪華な紙媒体「創刊」!?

この度、何を血迷ったのか、極めて特殊な紙媒体を“創刊”してしまおうと思い立ったタケシ・トラバート。
どこまでもどこまでも無茶なプロジェクトです。

以下、とんでもない企画書(「執筆のお願い」)から一部抜粋。

***********************************

「執筆のお願い」


形態:雑誌でもムックでもフリーペーパーでも単行本でもない紙媒体の発刊。

 

 第一号のテーマ:


ラスト・ボヘミアン・メッセージ
――遺言――

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世紀に入り、既に十年以上が経ち、その間、多くの貴重な歴史の証言者たちが次々とこの世を去っていってしまい、かれらがわれわれに残した数多くのメッセージはいまや絶版や廃版になってしまった作品や書籍の中で、長い冬眠期間に入っています。

しかし、今後それらの書籍なり文献なりが再版される保証などどこにもありません。電子版でかろうじて抄出されるか、インターネット上で膨大にアーカイヴされたものから電子画面を通し、目にすることは可能でしょう。
それは視覚と聴覚のみでの「再会・再発見」であり、一文字一文字を愛で、匂いをかぎ、多少の重みと手触りといった触感なき世界での話です。

本来、言葉とは、人間が持つ様々な器官の幾つかを無意識のうちに駆使することによって初めて、心に長くとどまるものです。

情報過剰時代が加速してゆく中、今この瞬間もテレビやインターネットや新聞や雑誌などが連携し合い正しい、情報を伝達する為の最善の方法を模索しています。

それでも、次から次へと新しいメディアが登場し、竜巻のごとく時代も情報も手段も何もかもを席巻し、われわれが知るべき英知や受け継げなければならないスピリット、そして困惑を極めるこの時代に必要とされる麗しくも研ぎ澄まされた幾つものアドバイス、そういったすべてが霞みの向こうに幻のごとくゆらめき、徐々に遠ざかってしまっているように感じてなりません。

そんな中、インターネットや既刊の印刷物のどこをどう探しても見つけることのできない抵抗者たちの言葉を、集めて形あるものとして残したいと思い立った次第です。

手遅れになるには遅くはない。
鼓動しつづけるハートビートを刻みながら活動している素晴しい生き証人たちがたくさんいます。

そんな方々の言葉、振る舞い、醸し出すオーラ、真珠のきらめきをそのまま「遺言」というあえてネガティブにも響くテーマで包み込み、受け渡すべきバトンとしてリリースしてしまおう、というのがこの度の企画の趣旨であるわけです。

テーマ:
◆この時代に、あえて無名の若造が編む紙媒体だからこそ寄せて頂きたいワイルドなメッセージ。(ためになる、なららない、は度外視で)。

テーマの「遺書」について。
あくまでも「最後にこれだけは伝えておきたい、或いは言い残しておきたい」ある種の“言葉の遺産”として解釈して頂く(本来の遺書では書ききれないこと、書くことができないこと。または遺書にしてはいずれ読むことになるであろう“遺族”の方々にとっては少々過激な言葉)。

◆パブリックイメージを壊さない程度で。語り掛ける対象者は、決して若者に限る必要はなく、同世代の方々も含め、おそらくは自分より、もう少しだけ長くこの世にとどまるであろう世代全てに対して。

◆怒りや苛立ちであろうと、後続たちへの不満であろうと、これまでなかなか公の場で口にしたり書いたりする機会のなかった、本音。なるべくストレートに。

それらは、ちゃんとした文章であろうと、散文や詩といった形態であろうと、手紙や独白といったカタチであろうと、書き手の素顔や個性が出ていればそれで構いません(そもそも文章になっていなくても構いません)。

また、俺だからこそ、私だからこそ、貫いてきたこと、言えること……、それがたとえ自慢のように響いても結構です。

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✻これまでの人生の中で、体験し、成し得た最高のきらめき。
✻これだけは後世へ伝え残したいアドバイス。
✻どうしても誰かが受け継いでいってほしいスピリット。
✻どんなに時代がおかしくなろうとも、守り抜いてほしい道。
✻どうしても培ってほしい抵抗心。
✻人生を振り返りながら、トップとボトム、後につづく人間への言葉。

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上記の項目を参考に、

「わたしからの最後にして極めつけの捨てぜりふ・アドバイス・願い・メッセージ」
を、50字〜1600
字の間で書いて頂く。もしくは口頭で語って頂いたものを編者が文章にする。

重要なお願い

この度の創刊ですが、あくまでも“雑誌メディアの衰退とクオリティーの低下”に対し、出版業界全体へのカウンター・パンチ、或いは起爆剤となりうるような斬新さ(完全ボランティア執筆)でリリースしたい所存です。
最初から「完全保存版」をモットーに発刊したいと考えております。
運営資金は通信費と製本代のみでのスタートになってしまいました。

激怒なされるのを承知の上で、わたくし丸本武(発行人)からの最初で最後の無茶なお願いとして、どうか執筆料(原稿料)をお支払いできない、という非常識な条件を与して御協力お願いいたします!!


◆執筆陣:候補者(敬称略・順不同)

瀬戸内寂聴、横尾忠則、藤原新也、白石かずこ、加藤登紀子、森山大道、カルメン・マキ、細野晴臣、田中邦衛、三國連太郎、永六輔、高倉健、戸田奈津子、常盤新平、友部正人、草間彌生、片桐ユズル、山本耀司、山田洋二、ピーター・バカラン、田原総一郎、室井滋、若松孝二、内田裕也、山下洋輔、中川五郎、菅野ヘッケル、麻田浩、他。

◆有名無名にかかわらず、ボランティアで執筆して頂く(原稿料等の支払い不可能の為)。

☆最終的に20名前後に絞る(執筆を承諾して下さった方の数により変動)。

形態:
◆サイズ:A5半(変形)
◆ページ:95ページ前後
◆表紙以外モノクロ
◆部数:2,000
(雑誌でもムックでも機関誌でも単行本でもフリーペーパーでも通常の自費出版モノでもないため、部数は未定。表示は目安)
◆予定価格:800円(税込)
◆不定期刊


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  丸本武完全責任編集
『ボヘミアン
デカダンス(仮)』
 

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posted by タケシ・トラバート at 14:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑誌、文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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